■ 日 日 夜 夜 ■

日々のタワゴト                  

寝て食べて食べてまた寝て生きておる

▼4/16〜22

やや寝足りぬ感じで目覚め。木村衣有子『もの食う本』を読み終える。良い本だった。武藤良子という人の絵も素敵だ。人は食べものでできている。その人の食生活の記録を数日分読んだら、人となりの7割は判る気がする。

布団の中で横にいるトトを撫でながら、しばし微睡む。この子はみっしりと固太り。その肉の張りと温もりにゆったりしたエネルギーを感じる。

大ぶりの茶碗にご飯を盛り、昨日のチキンカレー(夫、作)と潰した目玉焼きを半々に乗っけて食べる。温めた牛乳も飲む。

あまり中身のない鼎談を見、がっちりでは「NEXCO 東日本」の儲け話をサラリと見る。

洗い物、洗濯など。

お昼は、近所のパン屋のパンにしようと朝から夫に頼んでいたのだが、一向に返答もなければ買いに行く様子もなし。しゃあないのう。と、腰を上げ、そうめんのペペロンチーノもどき。チビ助サラミの切ったのと玉ねぎ。食べるラー油、醤油、鷹の爪、鶏レバーを煮た汁少々、オリーブ油で味付け。最後にレバーと煮た卵を細かく切ったのを合えて。出来上がる頃に、いつの間にやら買い物に出ていた夫が帰宅。ぶーぶー文句を言う。

午後は、鶴瓶のDVD「笑福亭鶴瓶が生まれた理由ワケ--もうひとつの、ディア・ドクター」を見る。見るほどに伊野治という僻地のニセ医師と釣瓶が似通っていると思わされてくる。西川美和監督も意図していなかったが、日に日に、ああ良かったんだ、良かったんだ、と確信を強めてゆく撮影だったとのこと。殊に素晴らしかったのは香川照之キネマ旬報に寄せた釣瓶評であった。難しい脚本を前にして頭を抱え考え込む役者らを尻目に、釣瓶は、わずかの休憩に押し寄せる村人と難なく打ち解け会話し、次々とサインをし写真撮影に応じる。そうか、釣瓶は「伊野治」になる必要などなく、もともと彼であったのだ…という趣旨。落語ツアーに賭ける気迫も見ものだ。DVDの冊子にあるように、「今起きていることが一番面白い」という釣瓶の信念に、ハゲシク同意する。そうかぁ、だから自分は彼に惹かれるのかも。

少しは動かにゃとウォーキングへ。郵便受けに本が届いている。(はて?ワタシまたナンカ注文したっけ?)と開けてみると著者謹呈の歌集であった。背中のワンショルダーリュックに、これも入れてスクーターにて公園へ。人が多いのでメインコースを外れながら歩く。途中、ベンチに掛ける。座りが悪いのか期せずしてロッキングチェアーになっている。いい塩梅。一服し、本を開く。彼女の半生を凝縮したような歌の数々。ついこの間、川柳や俳句の解釈は勝手な妄想、勝手な誤読も含めて読者のもの、と書いた気がするが…彼女の歌には、それは許されざる行為と思われ、軽々に批評などできぬ。私が好きだったのは、時折見える考え倦んだ挙げ句のようなポンと投げ出された感じの短歌たち。

夕飯は餃子。二人餃子。笑点や釣り番組を見ながら包んで包んで焼いて焼いて。バンキシャ見ながら「たくらんけ」と毒づいてみたり。

読了本:『舟を編む』とてもとても好きだった。馬締君は勝手に星野源をキャスティング。