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日々のタワゴト                  

うつくしいもの

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某日:孫のひと誕生を祝う。いまかいまかとハラハラ出産を待っていた、あの日から早一年。歩きもするし、バイバイ、パチパチ、バンザイも覚える成長ぶり。考えてみますれば、この世とは、人生上り坂と下り坂が相マミエて戯レル遊園地。他の世代が理解し難くて不貞腐れたりシラケたり、ああ、父や母は当時こんな風に感じていたのだろうか、と不意に気付かされたり。それもまた、いとたのし。しばらくぶりで下の娘もやってきて賑やかな一夜。面子が揃うだけで、かつての我が家の登り坂時代が蘇り楽しい。。。そう。それは、もう今は、そういう日常ではないということ。

某日:新しい仕事。ビニールハウスver.ラベンダー挿し木、マツバボタン挿し木。黙々と真面目にやってはいたが、ほぼ初対面の人とズーーッと無言で働くのも・・・と、気を利かせたつもりで話しかけ、別部門古株主任から「ごめんなさいねぇ。仕事中の私語は慎んでくださいねぇ」と注意を受ける。そーゆーことなら、それはそれで、らじゃー!だよっ。

某日:叔母のために借りてきた「あなたへ」を夫と観る。いつかは、どちらかがどちらかを看取り、更に縮小した「家族」の一員として過ごす日々がやってくる。先日、友人のお父さんが亡くなったこと、ウチの父のこと、闘病中の叔母のこと、友人らの両親の現状、全方向的にいつか来る死に包囲されていると感じる。「そのこと」を考えざるを得ない「今」。これも齢を重ねた御利益なのだろう。

某日:清水ミチコ本と佐野洋子本を読みシアワセ!と思う。

某日:小雨の中、夫のマラソン応援。圧倒的に中年以降の層が厚く、なおかつ、その人数が半端じゃなく、いつもいつも「なぜに走るっ!?なにを求めてっ!?」という感嘆符と疑問符が頭から濛々と湧き上がり、私の姿は霧雨と符の煙幕で豊平川河岸より消えてしまったのでありました。これが、いわゆる「ワタクシこの辺でドロンさせていただきます」というヤツ。小一時間の日曜賭博師となって軽く負けテヘペロ。

某日:連休の締め。どこにも出掛けていないので、夫とぶらりドライブ。燻製旨し。K商店にて、甘エビ、ヤリイカ、帆立など買い求め実家にて父、姉夫婦と昼食。海幸丼もイカのゲソとエンペラ煮付けもおいしゅうござった。以前は娘たちの様子を、しきりに気にしていた父は、いつの間にか毎回シュン(ウチの曾孫)はどうしてる?と訊くようになっている、と気付く。

 某日:木皿泉の『昨日のカレー 明日のパン』に八木重吉の「うつくしいもの」が引用されていた。若き日のこの詩への共感を思い出す。「オレハ ヨゴレタ ヨゴレテシマッタ」と、思ひ、そんな薄汚れた54歳として、更に強く若い頃の自分の十倍の強さで、この詩に新たな共感を覚えたワタクシだった。 


八木重吉

 
   うつくしいもの


 わたしみづからのなかでもいい
 
 わたしの外の せかいでも いい
 
 どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
 
 それが 敵であつても かまわない
 
 及びがたくても よい
        ヽ ヽ
 ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
 
 ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ