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日々のタワゴト                  

風に吹かれて

▼5/15 

カンバシクナイ天候ながら歩きに出る。そうだ円山方面の桜を見てみようではないか。幌見峠を越えてゆく。メジャーなコースではないが登りきって少し下ると懐にビル群が納まるかのように街を見渡せるのが気に入っている。しかし曇天。

神宮の傍に停めてみるが桜はとうに盛りを過ぎている。夜半に嵐の吹かぬものかは・・・か。うら寂しい気持ち。花見の席取りと思しき青年がいた。四隅の舞い上がる大きな青い敷物の上で風に吹かれながらボブ・ディランを歌っていた(ウソ)。そう。1)今日の花見が無事に行われるのか も 2)君の人生が無事に花開くのかも 答えは風の中。。。

車があずましくない状況だし、風は冷たいしお参りをして絵馬に書かれた願い事などつらつらと拝見しホンの少し歩いて退散。

修理ができたというスクーターを取りに行く。外に出ると随分陽射しが暖かだ。中学校を過ぎたあたりから何故だか人が多い。しばらく歩いて訳がわかった。近くのJA前で苗もの市が行われているのだ。どの方も心なしか晴れやかなお顔をなさっている。例外なく、みなさん中高年だ。

「明日 地球が滅びるとしても 今日 君はリンゴの木を植える」

という言葉をフト思い出す。

ツリーハウス読了。うーむ。スペクタクル。また一層厚み深みを増されたような。昭和初期満州に渡った祖父祖母の世代から団塊の世代の父母、平成を生きる世代まで三代に渡る物語。思えば・・・一様に皆、浮浪雲的で「風に吹かれ」ている人生だ。大二郎が作った木の上の家『ツリーハウス』は『空中庭園』と相似形に思われる。インタビューで女同士のイザコザは禁じ手とすると語られた角田氏。今後のテーマは家庭家族の崩壊の方向に向かっていくのだろうか。山田太一が感じた時代の予兆は、まだまだ拍車がかかるのだろうか。

六月には反対の振子を引くつもりで映画『奇跡』を見てから中村航の『奇跡』を読もうと思う。