■ 日 日 夜 夜 ■

日々のタワゴト                  

・・・・・・・・・で、ドロンしたい



▼6/21

(疑問符は 茫漠茫洋 ゴボゴボと サンズイに溺死の 日日夜夜)

1972年の寅さんを見ていて(ぎゃっ。忘れ去られた昭和!)と思ったのが電話の切り替え機。一般家庭にも、親機と子機を切り替える、つまみの飛び出した黒い箱があったが、画面では旅館の帳場(!)らしきところが映っている。そこには、たくさんのつまみのついた切り替え箱、が置かれていた。

叔父夫婦が旅館を営んでいて、こども時分に、よく出入りしていたので突然に、その箱の記憶が甦り驚いた次第。(そーだそーだ。こーゆーのあったわ)と。その後、母も商売を初めて旅館の手伝いには行かなくなったので、この記憶は、おそらく47年は前のもの。

たまに、しばらく見ない芸人さんを見ると、(ああ。こういう人いたんだったな。)と思うものだが、いつしかフェイドアウトしてゆくから消えたことにも気付いていないワケだ。なつかしの風物も、同じなんだろう。運動足袋は、いったいいつから運動会で履かれなくなったのだろう。

そういえば・・・先日のお墓参りでも、私が日記でも触れた「その生理が最終回であったことは、その場では、判別できないんだもんね」と言う話にカンシンされた。ものごとの終わりはフェイドアウトなんだな、と改めて思う。

とはいえ、命はブツッと途切れる。そのキッチリした最後に葬式という、その人が主人公となる唯一最大のイベント日になるのも、しょうがないのか。わたしは、そろ〜っとフェイドアウトしたいが。・・・な。