噛めばにがいだろうと想像される虫。 ―を噛みつぶしたよう
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誰が考えた表現なのか「苦虫」。
「ニガヨモギ」でもなく「苦飴」でもなく「苦虫」。百歩譲って、苦虫という虫がいたとして、少なくても苦虫は本来食べものではないはずでは。
何故にわざわざ虫を噛み潰したりする?苦虫を噛み潰したようとは「非常に不愉快・不機嫌でにがりきった顔つきの形容。」その人、そんなにも不機嫌さを表現したかったのであろうか。食べられない虫をあえて噛んでみようと思うほどにさ。一体何のために?
虫が目に入ったり、耳に入ったりということは稀にある。むろん不快である。そのような目にあった人間が、もっと酷い状況は?と想定してみたのであろうか。たしかに、それでなくても虫は気持ちのいいものではない。ましてや口に入ってしまったら?しかも、その味がこの上なく苦かったら?たとえ布袋様でも、とんでもなく不機嫌な顔になろうというものである。
日本人はいろいろなことを虫の所為にするのが好きらしい。疳の虫、腹の虫、虫歯。虫唾が走る。
私が、しょっちゅう泣いているのも弱虫、泣き虫の所為だし。こう考えると、やはり虫の力は無視できない。ひーー!!(お客様にお願いします。腐ったみかん、生卵、とまとゴキブリなどを踊り子さんに投げつけないで下さい。)