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                      タワゴトです。

遠くでパッションの音を聴きながら

▼〜8/14
ラジオ版学問ノススメで久々に椎名誠の世界を懐かしく思い出す。

『さらば国分寺書店のオババ』以来、椎名さんがウニや鰹節を偏愛する如く椎名さんを慕っていた。子どもが生まれたら男の子だったら「岳」という名をもらおうとさえ心に決めていた。そして良い読者であり続けたわけだが、ある時急に憑き物が落ちるように椎名本を封印しようと決めた。

きっかけは『春画』という作品だったかと思う。

あまりにも忙しくエッセイの連載も同時に何社も抱えていらした(大きな約束中では月に締切が40本とある)こともあってか、椎名作品は、いつの間にか100%純粋果汁から濃縮還元し過ぎたジュースのようになっていった。同時にシーナワールドの原動力となっていた何か強い怒りのようなものも薄れて行っていた。同じエピソードが何度も何度も語られ、「まあ、いいやどうだって」という、あの力ない決まり文句の空気がエッセイ全体に蔓延してきていた。

それは、責めるようなことでもないし、仕方のないこととも思っていた。けれど、詳細は覚えていないものの『春画』には、もはや憧れのガキ大将の面差しは、どこにもなかった。そうして、私は椎名誠の単行本を全て段ボール箱に詰めて押入れの奥深くに仕舞ってしまった。だけど嫌いになったわけじゃない。幻滅して憎んだわけでもない。どこか遠いところから気にはしています。そんな感じで遠巻きに見ていた。

そして、このPodcustをきっかけに、落とし前をつけるというか、やっぱり『岳物語』の世界は見届けたいな。あれから、どんな風に彼らは成長したのかな、そんな風に思って『大きな約束』『続 大きな約束』を読むことにした。

体裁としては超多忙な日々のエッセイ風の文章の中に、ときおり友人らの死や一枝さん、葉さん、岳君、その息子の風太君の様子が描かれるといった形。ありのままに書き連ねられている、その文章は冗漫とも言えるし、ドラマチックな出来事など、そうそう起きたりはしない。普通の小説として☆を付けるなら☆☆☆くらいな感じ。けれど、なんか、やっぱり読んでよかった。特に孫の風太君を巡ってのやりとりには心が温かくなる。奥様の一枝さんに連れられて歌舞伎を見ている話なんかもウレシイ。
これって、やっぱりファンってことなのかな。

大きな約束 (集英社文庫)続 大きな約束

帰国した岳君ファミリーにも、色々なことが起きたろうな。やっぱりいつかそれらについての種々を自分は確かめたくなるだろうな。そう思っている。

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恒例の十三日のお墓参りは雨。

K町で母の納骨堂と幼くして亡くなった姪のお参り。食玩を供えながら「H美は、生きてたらもう40近いけど、ずーっと5歳なのかな。まだ食玩喜んでるかな」と話す。33回忌を過ぎても母親は、いつの日か、彼岸であの子に逢うのを楽しみにしているようだ。

お坊さんは傘と長靴。ちいさな子孫たちが泣いたり叱られたり。一番下の叔父と少し話す。父より11歳も年下だというのに、「もう生きてたってイイことなんてなさそうだし…」なんて言う。父とした昔の話を聴かせると、本当に懐かしげな表情をしていた。みんなこの本家で育ったのだものな。

家族って奴は、時とともにドンドン姿を変えてゆく。目の前にいる人はいなくなり、いなかった命が誕生し、増えて、それもまた、いつか年老いていく。そんなことに気づいてしまったら、それはそうそういつまでもパッションとがっぷり四つではいられないよな。そんなことを思う。

読了本:おかえり、Mr.バットマン  木皿泉さんのコメントに釣られ購入。途中まで、かなり面白いのだけれど、やや竜頭蛇尾の感。思うに「佐川さんが居れば日本の未来はダイジョウブ」というのは、この作品自体への言葉というよりは『おれのオバサン』『おれたちの青空』等の一連の作品についてのものだったのかも…と思う。木皿さん脚本でこっちをドラマで、やったら面白いものになりそう。おばさん役は小林聡美では若過ぎるから大竹しのぶとか室井茂がいいなぁ。子どもたちはジャニーズ関係でドラマ化したりしないかなぁ。
おれのおばさんおれたちの青空