鮮やかな紅葉の色彩が目に跳び込んできた。
普通、コダテの際は全ての郵便物が宛名の書かれた表を向いている。例外は、いわゆる「あて所(しょ)」と呼ばれている「あてどころ」がないために発信者に戻される郵便で自分の住所が裏面にあるものだ。
だから、ハガキといえども文面に目が行くのは珍しいことだ。
紅葉を背景に綴られている文面は、自分が悪性腫瘍を患っていること。医者に余命宣告されたが、今は、その期間をとうに過ぎ、なおかつ元気で日々を楽しんでいること、5年目の壁も越えられる気がすること、が書かれていた。
そして、なお来年以降の年賀状は欠礼させてもらうので、みなさまお元気で・・・。と結ばれていた。
お幾つの方なのかは分からないが、この方の潔い一生が伺えるような気がして、一瞬ぐっと一文字に唇を結び背筋を伸ばしたのだった。
▼12/1 土
冗談なのだろうけど、職場の青年に、こんど二班のパチ好きのみんなで並んで打ってみませんかと誘われる。「おお・・・。そりゃあいいね。」と、戸惑いつつ答えた。しかし、あとから思うに、そいつは随分面白しろそうだとワクワク楽しくなる。
▼12/2 日
娘の就職する会社の会長と会食。あんきも・お造り・八角軍艦焼き・天麩羅・きんき煮付け・茶碗蒸し・ジャコご飯・おみおつけ・シャーベットなどのコース。
非常に、波瀾万丈の人生を送られたようで話も楽しかった。厳しくもあり、経営者としての鋭い目も、野望も持ち合わせておられ、人間味のある方で安心してお任せしようと思えた。江差から札幌に出た頃、昼は丼に三杯は食べるのが当たり前で、たとえばカツ丼しか食べない人はお金が勿体なくて我慢しているんだと思っていた。という話が可笑しかった。
その足で、定期も財布も忘れていった模試のYを拾う。図書館にも立ち寄ってももらい4冊借りて満足。
そして、明日が私の誕生日なので娘達がご飯を用意してくれた。ものすごい照れくさい顔の夫からバラの花をもらい、プレゼントは化粧品だった。私が試供品のファンデーションを使っているのを見かねたようだ。
さぁ、50歳までの一年だ。良い中締めとなるよう楽しんでゆこう。こどもらの巣立ちもあるし、なにかひとつ、あたらしい楽しみを見つけたいとも思う。
本:吉田修一『女たちは二度遊ぶ』 了。短編集。困った女たちが描かれていて、親近感を覚える。殊に以下の書き出しには、ぐぐぐっと惹き付けられた。
本当になんにもしない女だった。炊事、洗濯、掃除はおろか、こちらが注意しないと、三日も風呂に入らないほどだった。
日記を遡って読んで下さるのは大変有り難いことなのだが。ときどき、い?と思うほど遡ってくださる方があり、いったいどうしたのだろう?どのようなかたなのだろう?とビビる。