■ 日 日 夜 夜 ■

日々のタワゴト                  

<あい‐まい【曖昧】>p.7



 はっきりしないこと。まぎらわしく、確かでないこと。「―な返事」「―に笑う」―‐もこ【曖昧模糊】 ―‐や【曖昧屋】

《解字》愛はそれに心と夂(あし)を加え、胸が詰まって足もそぞろに進みかねる意を示す。曖は「日+音符愛」で、日が雲にはばまれて進みかねること。未ミ・ビは、小さくて見えにくいこずえのこと。昧は「日+音符未。くらいこと。 (漢字源より抜粋)

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何事につけ曖昧な方である。かもしれない・・・。

ことほどさように言い切ることが苦手。

自分にとって揺るぎないことを幾つか検証してみよう。

「私はビールが好きだ」という件に関しては、疑いを差し挟む余地はない。とは思うが、そんなにビールは美味しい飲み物だろうか?と考えれば思い込みなのかもしれないとも思う。当たり前になりすぎて、真実のビールから遠ざかってしまっているかも知れない。ビール様に失礼な飲み方をしているのかもしれない。

「私は本が好きだ」。これはどうだろう?

確かに、全く本を読まぬ日はほとんどない。小学生の頃は、姉が読んでいる怪盗ルパンやホームズのシリーズをいつのまにか読んでいたが、そんなに入れ込んではいなかった。

本が好きになったのは中二ぐらいからだろうか。太宰・「二十歳の原点」「異邦人」や「変身」などから読みふけるようになった。嫌いな授業の時に読む、とか人と話したくない時に本を開くとか、考えてみると逃避的読書がその始まりでいつのまにか癖になっていただけなのかもしれない。

こんな風に・・・確かなことってほとんどない。

何かを言い切ることは、とりあえず他の可能性を捨てたことだ。でも、本当は(と思うこともある)という但し書きが付いている。

気分屋なので、そんな自分の価値を押し付けるのは恐ろしくてできない。

本についても「絶対面白い!」とはなかなか言えない。私は面白かったよ。良かったら試してみる?って感じ。気力充実ハイテンションの時に面白く感じる本と、夕暮れ時の泣き出しそうな頼りない心で面白い本は自ずと違うと思うから。

「夫を愛している」「こどもを愛している」「私は自由が好きだ」「私は人の役に立ちたい」「私はさっぱりした性格だ」これらは全部本当で、そしてときには嘘だ。

なにもかもが雲に隠れよく見極められない。「胸が詰まって足もそぞろに進みかねる」私だ。