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                      タワゴトです。

元気に耄碌しようぜ

▼2/17・2/18

森於菟『耄碌寸前』はタイトル買いだ。書店でこの本を見かけ、(あゝ、そういえば耄碌という言葉があったぢゃないか!)と心の中で膝を打つような気持だった。佐野洋子じゃないが、耄碌を痴呆症・恍惚の人・脳軟化・認知症…どう言い換えたところで指し示す事象は一緒だ。いいじゃないか。耄碌。今後私は「耄碌」を用いようと思う。「認知症」という造語の持つ空々しさに引き換え、「耄碌」には諧謔、ユーモアがある。しかも、道産子にとっては「耄碌」は「する」ものじゃなく、「たかる」ものだ。名詞化して「この耄碌たかりがっ!」などとも使われる。さあ!元気に「耄碌たかってくゾ!」そうココロに決めさえしたのだ。

多分、この随筆集で一番の名文は、冒頭にある「耄碌寸前」という文章だ。見かけたら立ち読みを。

痴呆に近い私の頭にはすでに時空の境さえとりはらわれつつある。うっすらと光がさしこむあさまだきの床の上で時に利休がいろり端でさばく袱紗の音をきき、またナポレオンがまたがる白馬の蹄の音をきく。はたまた私は父に連れられて帝室博物館の庭を歩きながら父と親しく話し合う青年の私ですらある。

この幽玄の境地も魅惑的だし、最後に若者との決別の辞が述べられているのも小気味良い。

そして、いまひとつの名文は「空想半熟卵」という一文。本当はコチラを引用するつもりだったが、しつこくなるのでやめておく。なお於菟の云う半熟卵とは温泉卵のことだ。文豪は皆、温泉卵を愛するのであろうか。人はB級の食べものを語るとき無防備になる。なんと愛らしいことか。

毎日雪が降って毎日それを退け、毎日文字を読んでは忘れ、毎日お腹が空いてそれを満たし、本当に無駄の積み重ねだよ。そうは思いながら、その「無駄」周辺にしか楽しみは転がっていねえのかもしれん。夕飯は、おとうさんと買い物をし、餃子を作って食べた。うまかった。

今日のTV「天空の方舟」佐藤隆太大雪をゆく。「おしん