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日々のタワゴト                  

不幸の隣に鎮座するのは、あれは

▼~5/13

季節の移ろいがいささかゆったりし過ぎている気がする。もう半月経つのに、「五月晴れ」と言い切れる日は数えるほど。

 

某日:3週間ほど入院していた叔母をK町まで送る。車中も、昔話からこれからの話から話題は尽きず。中でも、実は私は親戚にもらわれていたかもしれないというのがショッキングだった。すぐ上の姉が「ダメ!絶対ダメ」と言って強行に反対したために、我が家で暮らしていたこの叔母に白羽の矢が立ち、旅館業を営む伯父の家に行くことになったのだと。紅白餅を配り、親戚にもお披露目したというのに、正式の縁組はされずに叔母は小6から高校三年生まで、旅館の下働きをしながら学校に通った。しかし、ある時ウチの両親のことを悪し様に云われたのが我慢ならず、我が家に舞い戻ったのだ。・・・もしも私がもらわれていたら、おしんのように働いて働いて、旅館を継ぎ誰もがひれ伏すような立派なアキンドにでもなっていたかしら。運命とは不思議なもの。

某日:高熱が続きひきつけまで起こしていた孫が入院。川崎病と診断される。よく知らないものだから、検索して、その恐ろしさに愕然。発症後1週間以内に適正な処置がされれば、冠動脈瘤ができる可能性は低いが、しばらくは、その可能性がなくはない。とのことで、ぼーっとする。その日の夕刊は、ほとんど夢遊病のように、自動配達された。

相談の上、婿殿のお母さんと、私、そして若夫婦で、交代に付き添うこととなった。チーム一丸。

赤目、赤唇、発疹、熱・・・見た目にも痛々しいめんこちゃん。本当に代わってやれるものなら、なんぼでも、このババがっ!と胸をドスドス叩いて、天上の神様か悪魔かに立候補したい気持ちだった。

それでも日に日に症状はやわらぎ、笑顔の写真を見て心底ホッとしたのだった。ちっちゃい奴の笑顔に勝る希望はない。

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今日は私の当番。昨夕戴き物のレンジクッカーで炊いた娘用の赤飯弁当持参(ゲンが良くなるよう)で朝6時半に家を出て病院に7時半前に到着。娘がいるうちに、娘宅におもちゃと、絵本を取りにゆく。

 

久々で「おかさんといっしょ」他の幼児番組をフルに見る。孫の反応が可愛く、いちいち「おーおー」とウレシイ。お昼寝もしっかり。昼食も、とても力強くほぼ完食。ウレシイ。午後は午後でお歌カードで遊んだり、絵本を読んだりたっぷりと遊ぶ。しまいには、柵つきのベッドで私が先にダウン。投げ出した、その脚にしがみつくように眠っていたシュン。目覚めると逆さまだった。姿勢を直し、抱っこしながら再び二人で眠る。起きて、恋人のように見つめ合い、一本のバナナを分け合っておいしー!おいしー!と食べる。

娘が仕事を終えるまで、一度も大泣きすることもなくイイ子だった。

 

回診の医師がデータを見せて、肝機能の数値も、炎症を表す白血球の数値もほぼ平常値という。明日のエコー検査で冠動脈瘤が出来ていなければ、二~三日一時帰宅できるとのこと。現時点では免疫グロブリンが劇的に効いているようだ。

本当に楽しくて可愛くて良い日だった。音楽を聴きながら天才ピアニストの辻井伸行さんのように、頭を振るのがシュンの流行芸で、ひとりでそれにハマってケタケタ、キャラキャラ笑っていた。

本は停滞。

 

明日から三日間は霊園と新聞の配達引き継ぎ。新しい人が見つかり木曜でお役御免となる。霊園の仕事に専念。だが、孫の退院後の自宅療養が長引けば辞めなければならないおそれもあり。なんとか秋まで続けたいが。