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日々のタワゴト                  

家族は減ったのか増えたのか

▼12/7

四時に目が覚めた。起きて圧力釜にてご飯を炊く。

午前の仕事先では、ここしばらく姿を見かけず(もしかしたら辞めたのだろうか)と思っていたSさんを見かけた。

今日の代理配達は7通だったので先に自配を済ませた。それにしても、段々に、この仕事のバカバカしさがオーバーフローしてきた。早いうちに辞めると宣言したいのだが、これといった次の仕事も見つからず、今のところ思い切りがつかない。

夕刊配達時、Gさん宅の郵便受けがテープで塞がっている。「止め」の連絡も受けていないし、玄関の隅に置かせてもらう。

夕飯のシチューを煮込んでいたらU便局時代の同僚から電話。あれこれ話を聴く。しばし昔の幻影にぼーっとなる。

夜、たけしのアートビート面白動物彫刻家篇を見始め、炬燵で横になる。気が付けばアッという間に寝ていたらしい。

悶々と(寝なくては・・・)と思っているよりはいいが。人間にもスイッチやタイマーがあって眠りを意のままにできたら人生はどんなに効率的になることだろう。たっぷりと眠った日は、前向きな気持ちでいられる。

▼12/8

寝坊。夫が出勤していくドアを閉めた音で目覚めた。この人は、なんでか知らんが絶対に私を起こさない。

(やっちまったー)数日前の夫を少しは大事にしようという決意が、早くもこの通りだ。

今日は木曜だが雑紙の日ではなく燃えないゴミ日。預かった燃えないゴミの袋が40Lと大きいのでこの際とばかりに要らない靴を三足突っ込んで出した。

だが、あとでkeme先生にtwitterにて「あと靴は燃えるゴミ!」と指摘された。後の祭り。

会社に向かうKの沢通り車が詰まってるので何があったのか?と思いきやゴミ収集車からすべてのゴミがダーーーっと出ていた。エッライことだ。作業員の二人が、茫然とはこういうことなのかという表情で立ち尽くしていた。

会社に向かう車の中、挙式あとの会食で娘から誕生日プレゼントとしてフォトフレームとCDをもらった。その「家族になろうよ」を聴く。今頃になって車でダーダー泣いている。遅いわ!

メール便代理配達も大分慣れてきた。本町曙町大まかには判るようになった。

メール便配達終盤はいつもTBSラジオ永六輔の「誰かとどこかで」。この番組は45年続いている。その間、一度も休んだことがないのが僕の誇りだった。と語っている。パーキンソン病に罹って、一体何をしゃべっているのかわからない時も、続けていた。ちゃんと喋れるようになってから出ろ!というハガキなども紹介されていたし、私も、そう思っていたが、それはそれで一つのメッセージとして聴取者に届いていたのだろう。今は事故で怪我をして入院中だが病室から放送している。凄いことである。簡単に、物事を諦める自分には百回生まれ変わってもできない芸当。と思う。

夕刊配達。とぼとぼ歩いて販売所に。雀の涙の明細書をもらう。「Gさんって止めになってません?」と確認したら、やっぱりそうだった。月曜日休みを取っていたので連絡漏れしていたのだ。立ち寄って回収。

夕飯は角煮キャベツ・もやしとピーマン炒め・じゃがいものお味噌汁など。

来週函館から出張でやってくる友人との集まりの連絡調整。Mから連絡がないので電話してみると男の人が出た。旦那かと思ったら息子のT君だった。進路決まったんだね、おめでとう!と云うと照れくさそうにありがとうございます。と云っていた。もう手を繋いでおしっこに行くこともないね。今度遊びに行ったら「T君おしっこないかい?手つないで連れてくかい?」と云ってみようか。

よしもとばなながインタビューでこう語っていた。

読み終わった後に、何を読んだかわからない作品を書いていきたいですね。「何だかわからない」というのは、読んだ人が、それが小説だったのか、映画だったのか、音楽だったのかわからないような感じ。「今のは、なんだったんだろう?」と思うような。特に何かの役に立つわけではないけれど、読んだ後、ちょっとその人の中に残るようなもの。

心に残った。