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日々のタワゴト                  

家族 すれ違う人

▼6/17〜6/18

夏めいた陽射しに照射され焼かれながらの夕刊配達。汗がひどかった。いつも全身汗まみれになって身に着けているものを全て洗濯機に放り込むことが多いのだが、頭や顔からボトボト、というのは初めてだったかも。目に入ると汗は痛い。涙と、ほとんど変わりない成分のはずなのに。

下の娘と連絡調整したり上の娘としたり。ぎりぎりまで仕事したいというので、帰宅した夫と一緒に娘宅を目指し下の娘も直接そちらへ。

当てにしていた中国料理屋さんは、
「ザンネン、キョウヤスミ。イマハ、ヨヤクノヒシカヤッテマセン。サッポロ?」と片言の日本語で応対。本当にすまなさそう。

けっきょくワイワイと四人で焼肉を食した。

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私も夫も飲み、下の娘の運転で帰宅。以前のような、まどろっこしさはなくなったが、迂闊な運転であることは確か。DNAさん御見事な仕事。

巨大本屋さんへ行ったが別冊SPOONは在庫切れ。発売日から二週間くらい過ぎているみたいで売り切れてしまったようだ。

ドーナツをつまみコーヒーや牛乳を飲み団欒。・・・余談だが団欒という文字を見ると、つい、いつも団栗を想像する。団栗が輪になって楽しそうな様子を。

娘らがアルバムを次々に出してきてきりがなくなってくる。昔の自分たち親たち、カメムシ会の子たちなど見て笑う。そう人は変わる。成長し酸化し風化し。

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朝になり目覚めると4時半。あのあとも自分だけ起きていたので結局3時間くらいしか寝ていない。起きてはみたが、これという材料もない。出汁のきいたオイスターソーメンにした。八時半出発の予定に合わせ、余裕をもって娘らを起こすが簡単に起きない。そして寝起きも悪い。

朝ドラの後、若い女優さんが中国に書を学ぶ旅に出るという番組をやっていた。路傍で水を含ませた筆を使い地面に書を描く人々が素晴らしい。お母様が書道をされていて以前中国に書の旅をされたカメ友を思い出し「おかあさん見てるかな」とおせっかいメール。彼女の長男坊は、明日が結婚式。

お寺には、ぎりぎりに到着。

母の三回忌と、5歳で亡くなった姪の三十三回忌を合同で。ごく内輪の法要。お経の合間には誰か彼かのチビたちの泣き声や話し声が聞こえる。朗々とした般若心経を天井画を見ながら聴く。真ん中には
怖い龍が大きく描かれその周囲には人物画の他に様々な動物も描かれている。「フクロウ」「猫のようにも見える犬の狆」「山羊」が愛嬌があって味わい深い。お気に入りとして覚えておこう、と思う。

幼くしてなくなったこの子は、私にとって初めての身近な赤ん坊で、私は、その沐浴を見に行くのが好きだった。小さいのに大人と同じ精巧な部品をちゃんと備えた赤ちゃん。驚いたことには、コイツが、お湯につかって、ちゃんとあくびをしたり、ガーゼをギューッと握ったり、くしゃみをしたりする。なんとも惹きつけられるし、ずーっと見ていたいという気持ちになったものだ。聞き分けの良い賢い子どもだった。亡くなったのは私の大学時代で突然の病気だったので、自分にとっては全く信じられないままだった。随分アッという間の三十数年。

会食の時の挨拶でも言っていたように、列席した姪や甥、その子たちは誰も現実の記憶としては、あの子のことを覚えてはいない。母のことにしろ、記憶を留めている人物が生きているのも、あと数十年。よく、人は二度死ぬ…と言われる比喩があるが、それとても宇宙の長い歴史から見たら、本当に瞬きする間くらいのできごと。儚い。「般若心経」が言うように、カタチあるものもないし、ないものもやはりないに等しい。全てを委ね、ただギャーテーギャーテーと念仏を唱えていれば良いのだろう。悲しもうと苦しもうと楽しもうと全ては過ぎ去り消えゆく。そうは思うけれど、小さな自分に閉じ込められ、この世にある限り、悟りきることなど、到底できない。明日からも、悲しんだり、楽しんだり、するしかない。苦笑まじりに思う。

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娘らは、それぞれ予定があるので、また別々の生活拠点に帰って行った。明日から、また、ふたりだ。・・・ふたり、か。