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 日々のタワゴト                  

老いを凝視してみる

▼1/8〜1/10

朝、姉より来られないかと電話。いつも風呂係担当の真ん中の姉がインフル罹患。用事が入っていると一旦断る。だが気持ちの良い青空も出ている。これなら夕方までに帰れることだろうと、思い直し行くことに。峠の手前までは良いお天気だったのに、あっという間に真っ白な世界に包まれてしまう。前を走る車のかすかに赤いテールライトだけが頼り。命からがらたどり着く郷里。

下の姉がお風呂に入れている間に上の姉がシーツその他を交換するのがいつものやり方。

風呂に入れると言っても、父は、かろうじて歩けるし、ヒゲだって震える手ではあるが自分で剃ることができる。ほとんど、それを見守っているだけで良いのだ。いつもは、あまりジッと見ることをしなかった。どちらかというと目を逸らせたいものである。親の老いた姿。薄くなってきた頭。石鹸を持つ手も、カミソリを摘む指もブルブルと震えている。皮膚は弛み、数え切れないシミが浮き出ている。背中は小さくなったし、腕も足も骨と皮だ。昔の言い回し「骨川筋右衛門」なんて詰まらない言葉を思い出したりする。背中を流し、時々手を添えて(ほんとうに、なにもできることなんてないな。ヒトがヒトにできることなんてないんだよな)と考える。

血圧が高いとか心臓肥大とか、便通が悪いとかいうことはあっても、決定的な「病気」の状態ではないのに、父には生きる気力がみられない。孫の様子を心配したり、曾孫に目を細めることはあっても、心から楽しそうな表情などしばらく見ていない。せっかく生きているんだから、何でも良いから何か楽しんでくれるといいのに。父さん・・・ああ死ぬまでただ見ていることしか私にはできないのだろうな。そう冷静に思う。

場合によっては泊まろうかとも思ったが、頃合いをみて吹雪が小止みの隙に発つ。なんとか、鍋宴会がまだ続いてる時間には着いたのだが、いささか疲れたので欠席。

深夜、Mヘヅさんが気に掛けているオペラをチョコチョコ様子見。しながらラジオでは竹下景子の話を聴く。

本がまるで読めない。読もうとするが目が霞み一向に進まない。ふたつあるはずの老眼鏡が一個も見つからない。時々、あまり見えていないのに想像でボンヤリ読むと、そのうちにワケ分からなくなって読み渋る。

佐野洋子は読んだ。『シズコさん』もそうだが、彼女の創作めいた書き方の著作はあまり好みではない。最後に、出るはずのエッセイ集を楽しみにしている。