■  日  日  夜  夜  ■

                      タワゴトです。

▼9/28〜9/30

▽9/28

目が覚めるも睡眠不足でなかなか起きる決心がつかず、グズグズと床の中で本を見る。老眼のマナコでぼやけた文字を追う。このところ本がなかなか読めないのは老化による目の疲れにも一因がありそう。「ごはんだよ〜」の姉の声で起きあがる。

父の着替えを手伝う。「この白い服は厭だ」というんでチェックのシャツに変更。「うん。これだらいい」靴下が履きにくそう。履くのを手伝う。自分も用意をして出てくると乾燥機のところで父が四つんばいになっていた。「ナニ!?」「呆けた?」とギョッとしてみていたら「っうっうっ。」とか言いつつ立ち上がった。手には櫛。そうか櫛を落として拾っていただけか。ホッとする。

鰈・焼き舞茸・目玉焼き・鱈子・冷や奴など。ワシワシ食べる。父は魚もいらん、豆腐もいらん、たまごもいらん、と鱈子とお味噌汁だけで御飯を流し込んでいた。姉がチョット口を出したが、こうと言ったらテコでも動かないじいさんなので、諦めた様子。十数錠の薬を飲むのを見届け出掛ける。

病院では検査の結果は良好と先生の話。最後に「なにかありますか?」と言われ「いつ死ぬべ?」と父。五十台後半の女医さんは「いやいや、女の人を泣かせたり奥さん泣かせたり、そういうことをしてきたヒトは地獄が蓋を開けて待っているから、もう少しコッチにいた方がいいですよ〜」とか笑い混じり叱咤して下さった。

薬局前で昔からの知人に会う。

「あらぁ〜○○ちゃん?太ったねぇ!」
「ばあちゃんの子だもの〜」と返すが、ややフクザツ。

身体を張ったボランティアの連絡あったが、今回は体調が思わしくないので、と辞退。病院は、見て貰いたかった先生の復帰が決まっているようでそれからにした。

夜、連絡の途絶えていた娘よりメール。朝は五時か六時から準備に入り、二十時過ぎまで、ほぼ、ぶっ通しで頑張っていた由。なんとか無事で仕事は終えられたようだ。ヨセミテ公園まで何時間もかけて連れて行って貰い、壮大な世界遺産を見て感激したとのこと。あと二日?長かったなぁ、と安堵。

▽9/29

食卓が傷んできたので
「ねぇお父さん、これさぁグラインダーでヤスリかけてさー、綺麗にしてみようかぁ」と促してみた。
一呼吸置き、ゆっくりと立ち上がり黙ってテーブルに手をかける夫。「ん?」「倒して」

足をハズし、ベランダに天板を移動。

その後、汚れるからコレ着たら?と紙ヤッケを渡したり、中から
「これさぁ  ××してみたら?」と言ってみたり
またしばらくして「ヤスリの汚れ、たわしで落としてみたら」とか
色々話しかけるが一切返答なし!だんだんムカムカしてきて切れた。「そんな人とは、あと三十年も暮らせないからね」と告げて、スクーターで家を出る。この件は姉にも愚痴ってきたところ。「私だったら怒るね」と言われてきたばかりで、でしょ?怒って当然でしょ?とか意を強くしていたので余計に腹が立つ。

二度と口をきくモノか、と思いながらも、夕飯は、支度して早めに床に。

しばらくすると娘からメール。翌日会社に顔出しすると聴いていたので明日迎えにいくつもりだったのに勘違いしていたようで、千歳空港からだった。会社に行かないから、じゃあバスで帰るね。ということに。寝ちゃうかもと言って本当に眠ってしまう。物音で目覚めると娘はすでに着いていた。
「あらあら、ごめんねぇ」と起きて、土産話をアレコレ聞き、写真も見る。そして英語とたどたどしい日本語混じりのラブレターもどきを見せて貰って「そりゃ、よござんした」と笑う。二時くらいに先に休む。

▽9/30

夫も誘ったが気乗りしなさそうだったし居ない方がのんびりできるのも事実なので、無理強いでず二人で日帰り温泉へ。まずは下の娘への土産をゆうパックで出して。

岩盤浴・温泉・娘はマッサージなど。その間貧乏な私はマッサージを断念し週刊文春をつらつらと読む。そして食事・ゴロゴロ・読書(まだ、「つれづれ。オレ様でお大臣な銀色サン、反感必至とは思うが私にはオモシロイし、ある意味で尊敬に値する。我が家ではありえねぇ!という、独特の親子関係もコレはコレで味があると思う。なんせ唯我独尊。この人には脱帽する。自分のやり方をまげず信じた方に突き進む力。だれもそれは止められない、という点でも「カーカ」と瓜二つ。見届けてみたい。)・昼寝・風呂。デトックスヨガしたかったのに時間に間に合わず。

食事中、池内淳子が亡くなったことを知った。テレビをほとんど見なかった母が唯一よく見た日曜劇場の「おんなと味噌汁」のファンだったことなと回想。

合間の会話など安らぐ。

鍋とモロヘイヤおひたし美味であった。