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 日々のタワゴト                  

母のチューリップ



▼8/2

母の死を経験して、あらためて色々なことに気付いた。

姉からの電話は午前2時半頃に来たのだけれど、その前に私は起きていた。まさに、丁度母が喀血して苦しみ始めた頃に目覚めたことになる。前日夕方の電話では、元気だよ。大丈夫だからね。と、言っていたのに「死」は突然にやってきたのだった。癌ではあるけれど、痛みに苦しむことはなく逝ったのがせめてもの救いだ。

電話が鳴った時、すでに「その知らせ」なのだと覚悟した。

「ばあちゃん死んじゃった・・・」涙声の姉に

「なんでもっと早く教えてくれないの!?」と、言ったけれど

「だって、さっきまで元気だったんだもの・・・」と、泣く姉。

「とにかく、すぐ行くから」

と、言って夫を起こし、支度をして実家に向かった。

病院に着いたときには、すでに遺体は家に帰っていた。

仏間に寝かされた母の顔は安らかだった。顔も手も、まだ暖かかった。泣いても泣いても、簡単には実感できない肉親の死。

線香をあげ、枕経を聴き、通夜や告別式に参列し、少しずつ体の中まで「母の死」が染み通ってきた。納棺が一番応えた。きれいだった死に顔がどんどん鬱血してきて可哀想だった。花を手向け、ドライアイスですっかり冷えた顔に触れ、棺の蓋が閉じられ「もう会えないね。今までありがとう。おかあちゃんに負けないように頑張るからね」と、別れを告げた。そして、母は灰になった。

毎日、慣れぬ御りく膳を供え、お経を聴き、納骨やお墓の心配をし、遺族は悲しみだけに埋もれていることはできない。宗教って、良くできている、と、思った。

姪のこどもの相手をするのにグローブを探していて、物置にあった球根を見つけた。庭いじりの好きだった母が一昨年掘り起こしていたものだと思われる。夫に見せると、たぶんチューリップだよ。とのこと。秋に、我が家の庭に植えてみようと思っている。

どうか綺麗に咲いて欲しい。