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日々のタワゴト                  

▼4/14(水)

シアターキノにて「oasis」を見る。数日前から、仕事が早上がりなら映画に行こう!と思っていた。朝は、そんな風に気合いっぱいなのだ。だが、なぜだか仕事が終わると、気持ちが奥に引っ込んでしまって直帰していた。

ビンテージ手帳を差し出すと、ちゃんと前売りのような写真入の半券を貼ってもらえた。これが並んでいくと思うと、なんかうれしい。一本1000円だから、年間10本以上見る人なら断然お得。瀬戸内さんもお薦めの「息子のまなざし」、佐藤多佳子の『しゃべれどもしゃべれども』を思わせる「幸せになるためのイタリア語講座」、「クリビアにおまかせ!」「アタック�ハーフ2」「ぼくは怖くない」など見たい映画が目白押し。

「oasis」は、刑務所を出たばかりの青年と脳性マヒの女性の恋を描く映画。想像だと泣き所満載のお涙頂戴なのかも?と思ったが、そういった作りではなかった。とにかく主演の二人の演技は巧い。そういう人がそこで暮している、そんな風にしか見えない。歪んだ顔、硬直した手足の正視するのに勇気の要るヒロイン。日本のテレビでも障害を持つ人たちが取上げられることが増えたが、例外なく美し過ぎるのとは一線を画するリアル。社会は彼らを受け入れない。映画の中では、二人を取り囲む状況も何一つ変わらない。それは憂うべき現実だ。だが、それとは全く関係なく、とにもかくにも二人は出会い、心がしっかりと寄り添う。それで充分だという気がした。彼らにも「愛」は訪れるのだってこと、その当たり前のことが実感できるだけで。

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午後は図書館へ。『井泉水日記 青春篇(上)』延長してまで、ちびちび読み進めてきたが返却しなきゃまずい。と残り90頁は図書館で読み切るつもりで。結局は、30頁読んで残りは、また時々来て読もうと決めた。

百年前の俳句青年が明治三十五年八月二三日に、子規ゆかりの七浦で寮歌をがなりたてながら歩いたのだな。こどもに「アノ人ナニ屋サン?クスリ屋サン?シャシン屋サン?ヘイタイサン?」なんて言われて苦笑してたんだな。なんて具合に、読んでいるのが面白い。面白いし凄い。この後、読み通す機会は訪れるのかどうか分からないが、ともかく彼が九十二才で没するまでの日記を残したことは事実だ。橋は架かっている。

こうして遠く隔たった空間に存在する自分が、昔一人の人がそこに生きていて、色々な思いにサイナマレながら暮していたのだ、と実感できるということの不思議を感じる。つい先だって、鷺沢萠が亡くなったというがHPには4月9日までの彼女の思い一部は、たしかに残っている。それが文字の神秘だと感じる。

鼻糞ほどの思いでも、「書き残す」ってこと、大事にしたい。

借りたのは:坪内稔典 編『一億人の辞世の句』2と3。キムチンさんお薦め手作りカードの本。

ケータイを携帯せずに出掛けてしまった。帰ってみると寝室のクズカゴに落ちていた。友人は今日異国へ旅に出た。