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永い言い訳 映画と小説 初スポーツBAR

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今日はもうコンビニでいい、と、いつもの起床時刻を20分も過ぎて本を読み終えた。映画よりずっと深く届いた。

原作を映画にするというのは、ただそこに在るたくさんの星々に補助線を与えて大熊座とか蟹座とか名付けるのに似ている。無理(限界)がある。たとえ本人の作品でも。

とは、つぶやいたものの、原作を読んだ時点で映画が補完してくれた要素はかなりの量だし映画が原作に劣るという事ではなく、切り取り方が違うだけなのだろうが…。

映画を見たのは、日曜日。病院で父の朝食を見守り終えて。父は随分めそめそ甘えモード。私の手を握りたがる。若き頃、過呼吸症候群になった時に心細くて心細くて母が自室に寝に行くと言われた時の事を思い出していた。恥ずかしくて言えなかったがお願いだから側に居てっ!という心境だった。父さんも暗い穴にひゆーーっ、と飲み込まれそうなココロモチなのだろうか。

大袈裟に別れて自宅に直行。娘にあちこち片付けてもらったり、自分も片付けたりし、夕飯用のおでんを仕込んでディノスまで送ってもらった。

映画『永い言い訳』観賞。

ある日突然家族を失った人たちの物語。

作家であるキヌガサは旅行中の事故で妻を失い、同行していた妻の友人の家庭を助ける為に新たな関わりを持つこととなる。しかし…。

主人公はネチネチとしている上、浮気はするわ、女房大事にしないわ、酒癖悪いわの相当嫌なヤツかつダメな人間。冒頭のシーンだけでも、深津絵里演じる奥さんに同情。

でも…駄目でない人間なんてそうそう居やしない…。

原作を読んでみると映画では割愛されたエピソードもかなりある。また各々の人物視点での文章によって登場人物たちの人となりにも理解しうる部分が広がる。どの人物造形もより深い。全員のダメさ加減が微妙に伝わる。灯にも真平にも自分と同じ人間として肩入れ出来る。映画の中では雑でヒトの繊細なココロヲ解しないという意外に欠点の見つからない陽一にも突然帰宅できなくなった、とあるエピソードでグッと惹きつけられる。

きっと弱点のない人間には魅力も又ないのだ。偉人伝の人物が私の身近に居たら絶対「敬して遠ざける」。太宰や山頭火が愛され続ける理由も、正にソコだろう。多くの公正な視点を持つ人々は自分が如何に駄目であることを知っている。ヒトには出さないようにしているオノレの心の声をきいているのだから。。

駄目でありつつも何かしら自分の生きてゆくヨスガが得られるとしたならば、それはやっぱり「他者」の存在とその関わりの中に見いだすしかないのだろうな、シアワセはもつれがちな糸の中にあるらしい。

永い言い訳』は大いなる人間賛歌だ。駄目ダメでも生きてゆける気持ちに火が灯る。

個人的には、鏑木優子(科学館の実験していた女)が斜視であるエピとその事で灯が犯した失敗の件、受験の結果を知りキヌガササチオが号泣した件(クダリ)は、残して欲しかった。

☆☆☆

映画が終わると2時間近。娘と当たりを付けていたスポーツBARへ。入口の貼り紙を見ると「飲み放題¥3500」少々高いのう!とは思ったが他を当たっている間に試合が動くと悲しいと思い決断!鴨のロースト、牡蠣のアヒージョなどすべて美味しかった。隣に座ったおひとりさまのお嬢さんもとても可愛らしい女性だった。得点すると♩おーいおーい北海道ほっかいど〜〜〜 バンザーイバンザーイバンザーイ!と、みんなで大声出して騒ぎまくっての観戦はストレス発散に最適!お店の様子はテレビにも再三映っていた。(我々はカウンターなので手と後ろ姿のみ)日本シリーズもつれ込んだら是非また行きたい。寝不足の上に爆飲みで案の定バスは停留所三つか四つ乗り過ごしたが。

そして今日のお弁当はちゃちゃっと素早く詰められた。

仕事キツい。