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 日々のタワゴト                  

《遍路44日目》 結願 完結

▼3/11

五時過ぎ覚醒。今日は88番寺大窪寺を打ったあとは、のんびりして赤飯で祝ってくれるという民宿に泊まるつもりでいた。しかし、そうすると、どうしても、朝一の飛行機には間に合わないのが判明。諦めて、今日のうちに成田まで行くことにした。そもそもが、15日の航空券を取っており、余った日にちは島巡り、もしくはレンタカーでうどん屋行脚を!と目論んでいたのだが、もう「宿」に泊まるのは飽きてしまった。どんな素晴らしい宿であろうと、自分の家ではないところに泊まるとなると、ある種の緊張が伴う。調べて、予約して、どのようにそこへ行くかも、一つ一つ考えなくてはならないのである。

その点、自分ちの気楽さときたら!宿泊代金不要。予約も必要なし。そこが、どんなところか恐れ慄くことだってない。なんて素晴らしい!ジブンチ。

四国遍路においては、昨今では、88番札所を打ったら、一番寺にお礼参りに行くというのが、スタンダードになっている。私も、すっかりその気でいた。けれど、地元に暮らす古老に言わせると「昔はそんなことはしていなかった。おおかた一番寺の住職の陰謀であろう」だいたい、あそこだけは羽振りが良くて・・なんてことを言う人もいた。それが事実とも思わないが、遍路に出た人の多くは一番霊山寺の売店で遍路用品を揃える。白装束、杖、菅傘、納め札、山谷袋まで、一人で数万円使う人も少なくない。

昨日、あづま屋さんの女将は、オリジナル地図を片手に流暢に大窪寺への道を説明した後「明日は、大窪寺の後どうされます?」というので、
「いやー。そのまま帰ろうと思ってます」と言うと、ビックリする勢いで
「正解!!」と言うのだった。
「円にならん。円にならん、て言うけど、そんなん御礼参りなんて、昔は聞いたこともなかったんですわ。88番の後は、高野山に行ったらお終い。それでいいんです」

一抹の不安を覚えていた私としては、百人力の援軍を得た気分なのであった。

そんなこんなで、我が四国遍路は大窪寺で、一旦幕を閉じることとなった。高野山へは、別の機会に訪れようと考えている。

朝食の膳には、お大師さんと同行二人の意を込めて、双子の生卵、そして力が出るように、お味噌汁には、小さい丸いお餅。大窪寺へのコースは女体山越えにしようかと、ほぼ決定。女将さんは、もし13:30のバスを逃したら迎えに行ってあげるから、遠慮なく電話してきて下さいよ。と、念を押される。

遍路道も四コースから最後の試練を受けてみようかと、女体山越えに傾いていた。女人が女体を登るとは、また奇妙な話だが、その響きに面白みも感じていたのだった。

女将に見送られ、振り返り振り返り何度目かに合掌して別れた。

抜けるような青空に祝福されるように、気持ち良く歩を進める。心地良い。

へんろ交流サロンには8:47到着。トイレを借りてぐるぐるしてると「すみませーん」と女性が出てきた。コースの説明を受け、歩き遍路だけに与えられる「へんろ大使証書」、バッチをいただくべく待つ。八十八か所のジオラマ地図や、大昔の納め札など、たくさんの遍路資料がある。



途中、自転車遍路のふたり連れがやってきた。まばゆい若さ。野宿をしながら回っている大学生。18日目とのこと。大学で勉強したことより大きな経験だったと語る二人。どうぞ、この後も気を付けて!と別れる。

コース説明を受けたり、なんだかんだで30分も過ごしてしまった。

09:18出発 やはり、あずま屋の女将さんに勧められた女体山越えのコースを選択。最後の試練を受けるつもりで。

国道を進むと横道へ入る遍路シールと看板が出てくる。一個目の人里離れた遠回りの来栖神社コースはスル−。次に出てくる多和田神社コースの看板で左折。厳しい経路と聞いていたが、いつまでもゆるゆるとした舗装路の登り道。へんろシールが、ほとんどないので不安になる。が交流サロンで見せていただいた写真の「こどもSOS」看板や、「昼寝城址」の表示が出てくれば正しいコースを歩いているということなので、大丈夫。

道のずっと向こう、日の当たる坂道に何かがいる!猿だっ!ぽつんぽつんと民家は見えるが人気がない。怖いっ!ショルダーバッグの中に昨夜のデザート、ミカンがあるのを思い出してそれを四つに千切り、万が一に備える。飛びつかれそうになったら、これで注意を逸らそう。ドキドキしながら進む。間近になったところで、こちらに気付いた!と思うが早いか、山林に逃げて行った。畑で日向ぼっこしていた一団も皆逃げて行ってくれた。

はぁ〜。ため息をついて、更に先を目指す。一時間ほど歩いたところで小休止。さらに歩くこと一時間。やっと登山道に入る。ベンチでお日様浴びてそよ風に吹かれ、

「女体山越えの山路にあるベンチで一服。お日様浴びて自然に抱かれつつ、この唯一無二の豊満(⁈)な女体イッパイに幸せを感じている。生きている‼︎ https://pic.twitter.com/GTwdV0SeUs
なんてつぶやいた。だが、厳しいのはこの後だ。寺に着くまでがお遍路。

携帯のバッテリーが残り少なくなって写真も撮る余裕がない。一気に道が急になり、しかも岩山。岩にへばりつくようにしか、登ることあたわざる。登りながら(ココ、リポビタンDのCMに使えるよ。なぜ来ない…)と考える。ともかく、一歩一歩真剣だ。そういえば、交流サロンで「へんろシール」ありますよね?と聞いたら、ちょっと事情があって剥がしてしているらしいんですけど、コースの写真がこちらにありますので見て行って下されば大丈夫。とか言ってたな。もしかして事情って、滑落事故とかなんぢゃないの…。ここで転落して頭でも割れた日にゃあ、死んでも死にきれんわ。と、思って登る。そして、また登る。やっと展望の効く場所に出た。讃岐平野がずーーーっと見える。
一茶が三角寺で詠んだという
「これでこそ 登りしかひあり 山桜」を思い出す。どの寺社からみた下界より、大きく広がる絶景であった。

後は、下り。でも、なかなかの下り。

12:43分やっとのことで第88番目のお寺、大窪寺に着いたーーーっ!お参りにも(これが最後の読経か…)という思い。

遍路を終えた人々が杖を奉納したものが納められたものがギッシリと立っている様は圧巻であった。物体としての美しさも、人々の思いの集積としても。


金弐千円支払って結願の証を書いていただく。

とても人の良さそうな、素敵な日曜カメラマンさんに、写真を撮っていただく。そして「とったどーー!」と、つぶやく。

せめてお寺の方が、厳かに賞状を読んで授与して下さるとかあれば感動に浸ってもいられたのだが、バス時刻も迫っておりゆっくりもしていられない。

山門を出て正面のうどん屋さんで釜玉うどんを戴く。うまっ!今まで食べた四国のうどんで一番だ。これだよ。私が求めていたのは。そこに携帯電話が鳴る。あづま屋の女将さんであった。「もし、バスに遅れそうなら、もう出んといかんと思て」「なんとか着きました。女体山越え素晴らしかったです。うどんも食べました。美味しかったです。ありがとうございます!」

★ ★ ★ ★ ★

とうとう四国を一回りした。このドジでボケボケの私が。うっ。うっ。。。

おはようございます!がんばってください!と挨拶してくれた、老若男女のみなさま、おいしいミカンをお接待下さった方、遍路の身になって道案内をして下さった方々、遍路小屋を建てて下さった方、忘れ物を届けて下さった奇特な皆さん、お賽銭や飲み物を下さった方、四国コンビニスリーエフの社長さん、写真を撮って下さった方、道に迷った時、寺まで送ってくれたおじいちゃん、宿の方々一緒に歩いて下さった上岡さん、石井さん、朝倉さん、twitterで声掛け下さった皆さん、励ましのメールをくれた友人たち、本当にありがとうございました。「結願」証を戴いたのは私ですが、これって町内会の輪番の班長程度のものだよなあ、とツクヅク思う。いろんな人の顔が浮かぶ。



皆さんのおかげで成し遂げられました。

ことばにすると、いかにも陳腐で、ありきたりの表現になってしまうのが悲しいけれど「本当のこと」って、そんなものなのかも。そう思ったりします。

結願、満願成就というけれど、私の「願」は何なのか?父や叔母の病気平癒?いや。でも、生まれて死ぬのはこの世の理(ことわり)、せめて皆苦しまずに平らかな気持ちで召されますように、とは思ったけれど。

私が最後に祈ったのはなんだったかというと、天下泰平。この日が3.11だったのも何かの御縁でしょうか。

これにて、おっかのへっぽこへんろの旅は一幕完結にござりまする。今年か来年の秋には、弘法大師入滅の地、高野山を訪れるつもりでおります。

あづま屋発 07:20
長尾西遍路小屋 07:56-08:12
 35分
遍路交流サロン 08:47-09:17

88番大窪寺 12:43-

バス乗車 13:30-

成田着 19:30

21468歩
15.3km
3:40分