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日々のタワゴト                  

なぞをかける

▼〜4/21

ある日:元旭山動物園園長 小菅さんの対談をつらつらと見る。動物としての人間は群れで生きてきた。そうして文化を繋いできたのだ。という話に(ハッ)とした。核家族の中で、母親だけが子供に向かい合う育児に、様々な形の歪みが出てくるのは、これまた動物として当然のことであるよ、な。と、思った。しかしながら、諸々の条件を突き合わせた上で、それを選択せざるを得ない場合は、極力多くのひとの価値観にさらされる場が必要。保育施設もその一端で、実にありがたいこと。どうぞ、泣く子笑う子優しく抱く手たくさんの人に囲まれておおきくなあれ。

ある日:群れから離れて暮らしている我が孫は、腹を壊し月曜は休むという。かわいそうに。

ある日:見舞い。寿司を買って病院へ。持ち帰り用の注文用紙、一皿二貫ということを忘れ、ひとネタ二皿ずつ頼んでしまった。大量。口腔外科での夕飯。帰宅して、またぞろ寿司をつまみ麦酒。そして朝も。病人は元気。しかし、抗ガン治療の後の外科手術は少々堪えるのではと心配だ。

ある日:数か月ぶりでMちゃんと風呂へ。周辺の出来事など、一気にしゃべり過ぎた。楽しかったが彼女も疲れた事だろう。

ある日:出張から夫帰宅。なんとなく安心。

ある日:一日中隣の空き地の雪割りをする夫。その音を聴きながら、本を読み、野球を見る。ワンサイドゲームに飽きて昼寝ぽかぽか。

花はどんどん咲いてきた。我が家もクロッカス紫白黄色。フクジュソウ、コボレ種のビオラ

今日こそは『昨日のカレー 明日のパン』が届くはず。自分でポチったはずなのに、すっかり忘れていた。発送したメール一昨日来たが。遠隔地は損だね。

しばらく前から、言葉、文学、現代美術などは「つかまえて欲しがりながら、逃げてゆく鬼ごっこ」ではないか。やっかいな!ということを思い続けている。現代詩も純文学も。いわば「あたしいくつに見える?」と問いかけてくる若作りオババのようなものであって、(けっ。別に知りたかないんだよ)とお客さんを減らし続けている。

読まれて、見られて初めて世界は生まれる訳で、自己矛盾だと思う。

ひらけひらけ ぱっとひらけ ちゅーりっぷ