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日々のタワゴト                  

おおつごもりとがんたん

初読み本

▼12/31

いつものように実家に大集合。

姉らと、茶わん蒸し、旨煮、明日のカレー、鮭、蕎麦つゆなど準備する。特に茶わん蒸し(父の味風)の再現では水加減、出汁加減、蒸し具合などあーでもない、こーでもないと言いつつ準備。そして三々五々集合。二ヶ月・八か月・二歳・三歳・五歳×2・六歳・七歳・十歳・十三歳の子らと、大人二十人。とにもかくにも、まぁ、けたたましい。

恒例の父の挨拶で「年取り」開始。それまで泣く者叫ぶ者走り回る者でゴッタゴタだったのに、父八十五歳のヨレヨレの声で赤ん坊さえも急にシーンとする。「今年も、みんな大きな事故もなく元気でいられて良かったな。じいちゃんも、もう少し元気になれれば良かったけど、まぁまぁ、なんとか年を越せて良かったよ。みんな、ありがとう。」で乾杯。その後は、再び阿鼻叫喚。

▼1/1

夜明け前五時くらいか、除雪車の音と振動で目を覚ます。

トイレに行き、新聞を取って茶の間に行くと真ん中の姉のつれあいが、寝ている。まだ起こせない。仕方がないので、寝た部屋に戻る。夫、娘、孫、姪の子が、まだグッスリ。勉強机の微かな灯りで新聞をザッと眺める。七時前、やっと台所に行き、下の姉と雑煮の用意

姉の夫はスキー場関係者なので、もう三十数年は大晦日も午前一時二時まで、そして翌日元旦も仕事だ。雪投げを全くしないダンナではあるが、偉いものだ。

夫も起きて来た。「Tさん仕事だから除雪車の雪除けてやってくれる?」
と頼んで食事の準備。ぱらぱら起きてくる者らに「お餅いくつ?」と聞いては準備。仏間に寝ていた人が全員起きて布団を片付けたところで、やっと神棚、仏壇に雑煮を供え、拝む。

今年は夫だけ、一旦帰宅して雪を始末し、猫の世話をしてもらい年賀状を持ってきてもらおう、と決めていたのだが、なんとなく不憫で、やはり私も吹雪の中、一旦帰宅。

ふたりで質素にダラダラ。年賀状を眺め、あの人この人の顔を思い浮かべる。「今年もよろしくお願いします!」と乾杯。贈答用品崩しの生ハムは安くて美味しかった。お風呂に入り、本を読み、くだらないテレビも少し眺め、しゃぶしゃぶ。

今年の初読みは能町みね子『ひとりごはんの背中』。「市井のひとりぐらしの方々のおうちに上がりこみ、料理をいただいてお話を聞く」企画。住まいも団地から58階建て高層マンションまでバラバラ。職業も格闘家兼お笑い芸人や、女性実業家、スタイリスト、ロリ系AV女優、その他モロモロ。変な人満載。こういう色々な人々を見るのはオモシロイ。武田百合子は、花屋敷の雑多な食堂で食品サンプルを見て「いましばらく、こういうゴチャゴチャしたものを見ていたい」という趣旨のことを書いていたが、自分は、この世に、こういうそれぞれに変な人たちを眺めるために、やってきた気がする。

自分の基本に立ち返った。今年も物見遊山人生全肯定で、ぼちぼち行こう。

佐野洋子botのために車中で拾ったのは

(綿密に調査など決してしない様に用心して)六十三年の私の人生をちらっとふり返ると、あっという間だった様だし、もううんざりかんべんして下さい長すぎましたよと思うのと一緒くたで、短かかったのか長かったのかわからない。今日までで充分だったと思え、今日死んでも丁度いいと毎日思う。『神も仏も』

しかし、道中ネットに接続できず更新せず。

読めば読むほど、この人はスゴイと思う。全く聖人君子ではなく、ありのまま。まさに「ふつうがえらい」の名人見本だ。