▼10/25~/26
雨がしとしと金曜日。 ウォーキングもままならぬ。今日は静かにダラダラする。と決めてダラダラした。沢木耕太郎『流星ひとつ』若き日の藤圭子評伝。すべて会話形式。芸能界で体験した、マスコミへの不信感がそうさせたのだろう。もの凄くぶっきらぼう。だが、つっけんどんなのに、徐々に沢木さんへの距離が縮まってゆく。本能で、この人は他の記者たちとはどこか違う、と察知したのだろう。沢木氏が旅の話を始めると、自分の話なんかどうでもいい。もっとそういう話が聞きたいとせがみ、自分もそんな旅がしたいと、目を輝かせる。そこが微笑ましい。ところどころで、亡くなった時の宇多田ひかるコメントを思い出す。
お昼は外食。二人で家を出る。給料日なので、ATMに立ち寄り今年最後のお遍路貯金。私としてはよう頑張った。できたら毎年こんなようなペースで貯金して、冬に好きなところへ行く、っていう風に暮らしたい。
夫:カキグラタンセット 私:カキパスタ。
結局、こもってダラダラも夫が同じ屋根の下にいると落ち着かない。第一タバコが吸えなくてイライラする。三時半くらいに家を出て短時間勝負。全回転カヲルや次回確変確定虹色振動とか珍しいものを拝む。
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今朝は目が覚めた時から、孫の来訪の日だとワクワク。
王様のブランチBOOKコーナーで山本文緒氏のインタビューを拝見。
人は傷を抱えつつも巡り合った人間関係を背負いながら、歩んでゆくしかない。という趣旨のお話になるほど、なるほどとウナヅク。これを見て、あらゆるしがらみや関係から自由であろうとするモリがすさんで描かれていたことが腑に落ちた。自分のココロはモリタイプだと思ったけれど、曲がりなりにも、こうして根を下ろして暮らしてきたということを鑑みれば彼とは何かが違っているのか。いつも、放り出したい衝動に駆られつつも数十年。自分なりにはナニカを背負ってきたのか。
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午後、孫と娘がやってきた。
猫のしぐさを見て、カハカハと笑う一歳児!何かを食べると、美味しくても口に合わなくても、鼻にしわを寄せて面白い顔をする。見ていてあきない。
年寄りが小さな赤ん坊や幼児を見て、目を細めるのって、彼らの持つ未来への可能性がまばゆいからなのだろうか。
死に行く自分、そして育ちゆく命への祝福と畏れとして。
食べなさい食べなさい。おがりなさいおがりなさい。
買った本: