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今日は土曜だが夫は式典などで今日明日と仕事。何度も目が覚め、K先生らの仲間と苔の生えた川で泳ぐ夢。楽しいのだけれど(どうせアタシなんか…)とか孤独に浸っている。最終的には五時前に覚醒したのだが、どうしても起きるのが嫌で六時半までアン・サリーなど聴きながら布団で粘る。
バタバタで支度して日焼けクリームのみ塗ったくって病院へ向かう。結局15分近くに出た気がする。しかし世間は土曜日。道は空いていた。いつもよりも、むしろ早く到着。
病室に入り右手を上げて父の顔を覗く。頷いている。しかし、言葉はなくボーッとしてる。朝食も自らスプーンや箸を持つことはなく、私が食べさせた。口元に持っていけばヒナのように口だけは開ける。薬を飲むと、もう寝てしまう。
姉から電話が入り、今日病院へ来てくれる筈だった下の姉のつれあいが、おかしくなったので来れなくなってしまった、と、聞かされる。突然言葉が出なくなり、指が開かなくなったという。以前にも同じ事が起こり、病院にも掛かったが脳に異常は認められなかった経緯がある。
1〜2時間なら見てられるから、自分が次の汽車で行こうかと思う。というが断る。何しろ、この姉が父と同居しており、今後の父の様子次第で、今週の私どころではない大変さになるかもしれないのだ。腹をくくり、寝台の横にパイプ椅子を出し、その横で昨日の父のことを雑然と日記に書き留める。
昼前、姪二人と孫二人来院。
ひ孫たちが病室に顔を覗かせるなり、父は「おっ!」と云い「勉強してるか?(もごもごもご)」と、ひ孫に問いかける。姪たちと一緒に昼食の世話をして、着替えも手伝ってもらう。父は、ちゃんと「転勤どうなった?(もごもごもご)」と普通に会話。中学生のひ孫が「じいちゃん、こないだのテストね、148人中10番だったよ」と報告すれば「次は5番だな(モゴモゴモゴ)」と応えている。ああ、昨日の出来事がウソのようだ。
twitterでも「きっと、それは術後譫妄というヤツでは」など、ご指摘いただいた。
あああ。どうやら父さんは本当に帰って来たらしい。
午後には、ウチの孫もやってきた。父も抱いて泣かしたり、ぷにぷにの脚を触ったりしていた。が、その合間にも眠りに落ちてしまい、車椅子で鼾さえかいている。薬を追加したとは聞いていないのだが。。。娘夫婦も本当は我が家に泊まりに来る予定だったのだが、私は遅くまで帰られないし朝も早い。お泊りは、またの機会とした。
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帰宅してみると夫は、またも「北の国から」を見ている。「はあ?また見てんのかいや。好きだねぇ」とは言ったものの、見出せば自分もドップリ。
正吉の元へと旅立つ蛍。そしてカイ。列車をどこまでも追い駆ける五郎を見ながら鼻水と涙ちょちょ切れる。「家族」とか「血脈」とか「会うは別れの初め」とかをつらつら思う。
おりしも今日で超個人的「すいかDAYS」も終了。吸血鬼のようにハピネス三茶に四十数年住み続けた教授はナポリへと旅立ち、モトコは母から独立する。
そう。モトコが云うように人生に「『ずーーーっと一緒』なんてない」のだよね。どんなに別れが悲しかろうと「どうせ、いつか別れるならば出会いたくなどなかった」と思ってしまうほど、もう幼くはない。