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日々のタワゴト                  

▼〜7/4

四月の末に初孫が生まれ、七月の二日には父が入院した。孫は、目を見張るように、パンの種が発酵するように成長し続けている。もはや体重は生まれた時の二倍である。

一方、父はと云えば昨日の測定では52キロだ。最盛期の半分とは言わないが2/3を大きく下回る。あれよあれよという間にドンドン縮んでいく。

昔のTVというものは、スイッチを押すと真ん中から小さな四角い光がキューンと広がって点き、消すときもキューンと縮まって点になって消えたものだ。人間もああいう具合にキューンと小さくなって、跡形もなく消える訳にはいかないものかな。

毎日、朝七時に自宅を出、八時前に病院に到着する。そして夕飯を食べさせ終わるまで見ている。なあに、重篤な状況でもないし、たいしてすることもない。箸やスプーンを出してやり、鼻をかんだティッシュを捨ててやり、トイレに付き添う。台風の時の海みたいにユラユラ揺れるお味噌汁の水面をハラハラ見守ったり、こぼした粥を拾ったり、粗相をした病院着を着替えさせたり、昔話を聞き出したりするくらい。

昨日は音なしでスポーツチャンネルを見た。福原愛が勝つところと負けるところを一緒に見た。「(今度)赤んぼ生まれたら愛ちゃんってつけれや」という。もちろん私は嫌だ。そんな砂糖掛けの菓子みたいな名前、嫌に決まってる。でも、そうは言わないで「まあ、カワイイけどね。紛らわしくてだめだわ。I君とワケワカンナくなるから」とか会話したりもする。

一昨日、老人は昔話をすると脳が著しく活性化するという番組をやっていたのを思いだし、ちょこちょこ昔のことを訊いたりもする。楽しい。
「昔さ、寝ないででんぷん炊いたって言ってたっしょ?工場はどこにあったの?豚小屋のあったとこかい?」
「いいや」
「そっか。じゃあ、手押しポンプの向こう側か?」
「(うんうん)」
「どやってやるの?いも潰して?」
「機械でな、摩り下ろすみたいにするんだわ。して水入れてさ、焚いて乾かすべ?それをでっかい折に入れるんだ。してな、干して乾かしてさ・・・」
「ふーーん。働いたね〜」
「ああ。働いた〜。(遠い目)」
「開墾したのってハルマツさんかい?」
「おお。俺はなぁ、やっぱり一番尊敬するのはお父さん(春松)だなぁ。あと近衛兵になって表彰されたアニキと、産みのお母さんだな」
こうして、昔の話をしていると、少しだけ父は昔の精気を取り戻すように見える。「(遠い目)」の向こうには輝かしい過去が見えているんだろう。脳科学者の云うことは本当だろうと思う。父には未来がない。そうじゃないはずだが、本人はそう感じていると思う。それでも子供時代の自分、働き盛りの自分は生き生きしていたし、今もありありとそれを想起することはできる。看護師さんがラジオ波による処置の説明をする。大丈夫ですか?と問われると「はい。もう、切り刻まれようと何されようといいんだも」なんていう。

父の寝台の横で本を読む。幸田文の「終焉」という短い随筆にふいに胸を突かれる。

「いいかい」と云った。つめたい手であった。よく理解できなくて黙っていると、重ねて「おまえはいいかい」と訊かれた。「はい。よろしゅうございます」と答えた。あの時から私に父の一部分は移され、整えられてあったように思う。うそでなく、よしという心はすでにもっていた。手の平と一緒にうなずいて、「じゃあおれはもう死んじゃうよ」と何の表情もない。穏やかな目であった。

本という奴は、本当に不思議だ。自分の状況に必要なモノ、考え感じるよすがとなるものが、不思議に集まってくる。