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日々のタワゴト                  

縁起でもないけど

▼6/18・6/19

ネットで注文したiPhoneスピーカーが届いた。
優しい声が聴きたくてYoutubeにて映画「エンディングノート」の「天国さん」を探すけれどオリジナルはナシ。なので「奇跡」のくるりの歌。

心穏やかになる声を静かに聴いたりする。

火曜日は某病院にて父の検査。おおよそはK町の病院の見立てと同じ。肝臓に二センチの腫瘍。いつも飲んでいる心臓の薬の関係で造影剤での検査などは危険ということで詳細は入院して点滴をしながら受けることとなった。その上で転移がなければラジオ波で焼灼するか、カテーテル抗癌剤注入になるか決定し手術の運びになる模様。どちらの場合も術後一週間で退院ということで、少しだけホッとする。

それにしても「天国さん」が聴きたいなんて縁起でもない。孫が生まれる時も高田渡の「系図」が頭の中でグルグルしていた。「僕がこの世にやってきた夜/おふくろはめちゃくちゃにうれしがり/おやじはうろたえて質屋に走り/それから酒屋をたたきおこしたのだ」ここまではともかく、後に続く歌詞が、よくよく聴けば、またまたこれまた縁起でもない歌で、ひとり苦笑したっけ。

http://mp3.sogou.com/music.so?query=%A5%AA%A5%A2%A5%B7%A5%B9+%A5%CF%A5%CA%A5%EC%A5%B0%A5%DF
(2をチェックしてヘッドフォンマークをクリック)

「ガン」と聞いた時点でバイト先には「ことによると父の病気で辞めるかもしれない」旨伝えてあった。状況を話し、当面入院から二週間休ませていただくようお願いし快く了解をいただいた。

きっと、無事に終わると思う。

昨日、父の日のことを記したときに、書きそびれたのは、私がいかに父親っ子であったかということだった。永いことweb日記をあちらこちらで書き散らしていた間に、何度か書いた気がするが、私は本当に父さんっ子だった。

指定席は父の胡坐の中で、いつでもそこにチョコンと腰かけて頭を撫ぜてもらっていた。K町郊外の温泉を任されていた頃は、そこに通う車のハンドルは私が持っていた。父の膝でハンドルを握る。危ない時だけ父が操作する。そんなとき、父は「俺が中学生の頃はな、よく留産からK町の学校まで歩いたもんだ」「こどもの時は体弱くてな、学校休んで寝てるべ。したら爺さんがな、となりの農家まで卵買いに行くんだわぁ。となりったって、お前、遠いんだから、それを卵は滋養があるからってな、父さんだけ毎日食わせてもらってたんだぁ。」「でんぷんの時期にはな、芋から一晩中釜炊くんだわ。気が付いたら立ったまんま寝てるんだ。昔は、そやって甥っ子やら小さい兄弟やら食わすのに働いたんだよ。」そんな、取り留めもない話を聞かせてくれた。

父さんの昔ばなし、まだまだ聞きたいな。聞けるかな。