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日々のタワゴト                  

境界のふたり

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崖崩れの補修工事も目途がついて通行可となった道を走りK町へ。

「この頃は、ばあちゃん来たかい?」

「全然来ない」

「そっかい。早くこっちへ来い、とも、まだ来るな、とも言わんかい」

「一回、一回夢見たきりだわ」

「ああ。ばあちゃんが車の運転してて、バーン!って雪山に突っ込んでさ、えへへへって笑って車降りて来た、ってヤツでしょ。そっかぁ。出て来ないんだね。きっと、いいとこ行ったんだよ。成仏した人は夢に出て来ないっていうも」

帰り際の父との会話。

母の話をした時だけは、父の表情が情のある、しみじみしたものになる。そして涙ぐんでいる。

「また赤ん坊連れてくるから」「おお」と別れる。

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日出処の天子』第6巻、7巻読了。話は遣隋使を出そう、というところで終わる。ストーリー的には、やや竜頭蛇尾の感もあるが、カラー原稿の気合の入った中間色の美しさには息を呑んだ。当時類を見ないものだったし、それは今も変わらない。姉が「これも読むかい?」と渡してくれた松本大洋『Sunny』1巻2巻を借りてきた。

この人の漫画は、独特なので心のチューニングを彼仕様にして臨む。云うたら漫画界の純文学とでも言ったらいいのか。感情とかが記号化、単純化されていないのだ。だから読み手も考え考え読むことになる。生きてるのって、もやもやする気持ちの連続であって、チャート式で表せない。その「もやもや」は小説ならば行間にあるし、「どうなんだろう?」「こーゆーことか?」と読む人に問いかけ思考を促す。そういう意味で油断ならないし、ちょっと「踏絵」的な部分がある。自分が錆びついてたらチューニングが合わなくて「ザザザザーッ」ってなって、そんで落ち込む。

夜中、目が覚める度に夫がくっついてくる。ワシらは、くっついてないと網の目から怖い奈落に堕ちてゆくのかもな。そーゆー「平成さくらと一郎」的な境界の二人なのかもな。