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日々のタワゴト                  

浮世は回る

▼11/19〜12/5

某日:カメムシ会 子の出産・子の結婚・誕生日などが重なり、一方では身内が亡くなった人もあり。そして、親と自分たち自身のボケの兆候に戦々恐々とする我々「ちーむ1958」。こうして、いつか迎えるイマワの際に見るという走馬灯を営々とというか蕭々とというか編んでゆくのが人の生なのであろうか。この無駄な人生の最期に臓器ドナーになるというのはどうだろうか?と、時々思っていた私が他のカメムシ会員に疑問を投げかけてみた。各々色々な考えを持っていることが分かった。私の中で漠たる不安であった脳死は人の死なの?という件については本を読んでみようと決める。

同日:三次会に十数年ぶりでサプライズ参加の友人が登場。旧交を温める。生憎の都合で三人プラスワンだったけれど、本当にシミジミと(長く生きていると良いことも少しはあるな)と思う。

某日:娘の挙式。エスコートする夫の緊張した顔!人前結婚という形式。証人として証言とサインをした下の娘YがKと握手し(ありがとう)と声を掛けられて泣き出す。そこで私も涙腺が緩んでしまった。しかし、母への手紙の褒めようが、あまりに面映ゆく、おちおち泣いてもいられないのだった。挙式のあとは、いわゆる披露宴はなく身内のみの会食。和気藹々のうちに滞りなく終了し、肩の荷が下りた。「I君よろしくたのむよ」と握手をすると「一生大切にします。仕事がんばって偉くなります」というカワイイ婿よ!この子が生まれたのは、古ぼけた病院の産室。窓を背景に白いタオルにくるまれて差し出された娘。比喩ではなく後光が射していたのだが、嫁いだ彼女の姿もまた、同じように後光に包まれていた。まばゆくて、あまり直視できなかったのだ、母は。

某日:北の街へと帰る下の娘を駅まで送る。そして中年夫婦は映画を鑑賞。「レイルウェイズ鶴瓶が「あれ、よかったでー。がーー泣いたわ」と云っていた。永六輔は「たまたまフト見に行ったのね。そしたら三浦友和が出てきて、わーっとんでもないの見にきちゃった出ようかな、と思っていたら、これがビックリ。いいのよ。彼はイイ役者になりましたね。」とも語っていた。定年退職を迎えようとする夫と、再就職をしようとする妻(余貴美子)の気持ちの擦れ違い、そして家族再生を描く。生真面目一本の寡黙な男、この生き方が、なかなか素敵だ。うまくいくのか?と思いきやダメになり、ダメなのか…と思や……。

夫と仲よくしなくちゃな、と自戒。一生いい夫婦でいられますように。

だが、そうはいっても近頃バタバタでパチンコに行けてなかったので午後からは勝負!どの台も出て勝てた!