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日々のタワゴト                  

不思議をむさぼる

▼10/5

 雑誌「考える人」で高山なおみさんが、武田百合子の『犬が星見た』の旅を追体験して文章にする、という企画を始めたらしい。企画には、ちょっとばかし疑問もあるが、高山なおみも、武田百合子も大好きな文章家だし、ちょっと読んでみたい。けど図書館で読もうと思う。最近、文芸誌や、この種の雑誌を買うことに抵抗を覚える。自分は興味を持ったことに向かってしか行動を起こせない。絶対に一冊の文芸誌を全部読み切ることはない。そのことに気付いてからは、なんだか非常に居心地の悪い罪悪感があって文芸誌は極力買わない方向に行っている。

 午後、録画した徹子の部屋兵藤ゆきの回を見た。今は徹子の部屋を毎日録画している。そして、見たくない人のときは即座に消去。(ふーん。兵藤ゆきか、まぁ見てみるか)と、見ていた。兵藤さんがアメリカでの生活を始めて驚いたこと。「くしゃみをすると、見ず知らずの人が通りすがりにナンカ言うんですよ。なんなのだろうと思いましたよ」という。God bless youという言葉で「神のご加護を」と声を掛けて魔を避ける習慣。黒柳さんも「そうなんですよねぇ。みんなに「神のご加護を!神のご加護を!とか言われて、こんなことで私ばっかり神のご加護戴き過ぎじゃないかしらと思うのよね」と同意。兵「パックンマックンのパックンがね、日本に来てからは、くしゃみをしても誰もGod bless you!って言ってくれないから、なんだか全身が魔に取り憑かれてる気がする。って言ってましたよ」と、語っていた。面白いなぁ…、と聞いていたのだが、そういえば日本にも今は使わないが「くさめくさめ」と自分で唱えるというマジナイ(?)があったではないか。思わずパックンに教えたくなった。人間の考えることって文化を問わず似通っているものなんだな。

 10/6 先日ラジオビタミンでインタビューを聴いて是非とも見たいと思った映画「エンディングノート」。17:30の回を見るべく夕刊の配達を後半は走りながら必死で終えた。玄関を閉めるや否や、汗だくの服を脱ぎ棄てながら二階にあがり着替える。シャワーを浴びたいが間に合わない恐れがあるので、汗だけ拭いて着替え。当初は、とある地下鉄駅までスクーターで行って、地下鉄で向かうという計画だったが、雨模様でもあるし、ええい!車で行っちまおう。と某遊技場Vまで。場所が場所だけに駐車場の管理が難しいのだろう。イカサマ駐車を撲滅すべく色々対策を練っていた。いつの間にやら遊戯中に駐車券に店員のサインをもらうシステムになっていた。

 チケットを買った時点で、上映まで間があったので本屋でまめちゃん用の絵本を眺めた。いい本がたくさんあり過ぎて「ステキな金縛り」けっきょく選べなかった。

 映画は、とても良かった。癌で亡くなったお父さんが癌を告知され、全てを「段取り」すべく、亡くなるまでの準備(終活)をしながら最期を迎えるまでを撮り続けたドキュメントである。私は、最後のハナレグミの「天国さん」を聴きながら、なんだかシミジミ(見に来て良かったあぁ)と思っていた。

 だが、どこがどう良かったのかは、うまく言葉にならなかった。それでも、とても良かった。

 帰り道、車を運転しながら、この映画のどこが、こんなに心に響いたのか…ずっと考えていた。主人公である砂田監督のお父様は、そこはかとない可笑しみを湛えた人柄ながら非常に有能な企業戦士であった。小学校高学年からカメラを持つようになった、という砂田監督は、「映画にする」意図なしに、何年も家族を撮って来られていた。そして、二人のおじいさんも写真や8ミリを趣味とされていた。だからお父さんの学生時代・結婚式・生まれたこどもを不器用に抱く姿・幼い子どもたちと戯れる姿・出勤前にトーストを齧り忙しげに玄関を出てゆく姿・アーチを通って送られる退職のパーティー・お母さんとのデートの待ち合わせ・逐一運転手さんに指示をしながらタクシーに乗っている姿(これは現役でお仕事されていた頃と、病を得てからとが交互に)・夫婦喧嘩をしている姿・・・・・・そういった人生のあらゆる場面が写真や8m映像等を含め画像がスクリーンに映し出される。

 言ってみれば、私にとっては縁もゆかりもない余所のおじさんなのだが、それなのにお孫さんとのさらぬ別れを惜しむ姿や、奥様との最後の対話には泣けてならなかった。今日見たのは、砂田知昭という一人の人間の人生。なのだけれど、限りなく一人の個人的な人生に迫ることで、ヒト一般の人生の不条理が胸に迫る。それは空しいともいえるし、だからこそ素晴らしい、とも思える。お孫さんのひとりは大好きなじいじが天国へと召されてしまいそうな様子を見て自問自答していた。「お花もね古くなると枯れていくでしょう。人間も古くなると、あんな風に死ななくちゃならないの?」悲しいけど、でもそういうものなの?自分を納得させるように、そんな風に。

 映画を見た我々も彼女と同じ感慨にふけるしかない。すごいなぁ。一人の人間が何故だか生まれて何故だか死んでゆくということは、本当にすごいことだよなぁ。そう思うのだった。

もうひとつ、「ほんとうの事」の切り取り方の難しさについても考えた。実際、この日記だって「ほんとう」の「ほ」にも至らない。自分の目や耳ですら、今起きていることの中から「何か」を抽出してしか見たり聞いたりできない。