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日々のタワゴト                  

大和魂探してみれば

▼8/25.26

両日とも午前四時起き。NHKラジオ深夜便の列島インタビュー(書いてみて思ったがネーミングが奇妙)にてリービ英雄という方の話を聴きながら弁当作り。ヒデオという名でありながら、純然たるアメリカ人(ユダヤ系)。日本文学者。作家。非常に流暢な日本語を話される。やたら日本語のうまい外国人を見ると興味を覚える。たいがい、そういう方々は日本語や日本文学について特別に興味を抱いておられるし、一見識をお持ちだ。そんじょそこらの日本人よりも、その魅力を熟知している。そして意識的包括的に、それらを語る言葉を持っている。---漢字とひらがなが混在する、このビジュアルがしっくりする。この言葉で文章を書きたいと、ムズムズする。---というのだ。言ってみれば発端は日本語フェチ!そして、まさに究極の日本通。天安門広場に立った暑い暑い日、そこら中の石の地面から起ち上る陽炎(ココはカタカナの「カゲロウ」ぢゃ格調的にイカン)をみて万葉の歌が脳裏に浮かんだというのだから。

「東(ひむがし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾(かたぶ)きぬ」

この感性にはゾクゾクした。

彼の言っていた、言語的蓄積がイメージする力を拡大するという話には非常に納得がいく。国語の授業は大体ロクでもないが、古典や詩の暗唱だけは意味がある。しょうもない「登場人物の気持ち」の勉強なんかよして、寺子屋の時代に戻せばいいのだ。素読と暗唱こそ力になる。

話がそれたが、私に歯が立つのか否かよく解らないけれど、まずは図書館で当たりをつけてみよう。『天安門』文庫なら買おうか、とも思ったが講談社文芸文庫なのである。紙質も良く装丁も綺麗だけれど、それだけに高いのだ。

しかしながら、この方の話し言葉は、少々現代的で、性格もややセッカチと見えて、やや食い気味に「そーそーそーそー」と相槌を打つのが気になった。「はい」は一回。「そう」も一回!!!やはり、わたしの御茶屋峠はロバート・キャンベルさんだ。


アーサー・ビナード/ロバート・キャンベル/リービ英雄で「ボクらの時代」をやってほしいな。
・・・・・・

昨日も今日も公園を歩き、その後豊平川河川敷のコースへと進んだ。もっとも昨日の場合は、公園二週の予定だったのだが、公園内のトイレが六時半まで使用できないので川原の仮設トイレを目指した訳なんだが・・・。

今朝は巨大本屋の下辺りの背もたれのない正方形のベンチで数分間寝転がってみた。空が青い!雲が白い!太陽はまぶしい!と全部当たり前のことに感動しつつ帽子を頭からはずし顔に乗せ、今度はメッシュの隙間から差し込むたくさんの六角の光に心を奪われていた。そのままひと一眠りしたかったが、運動中具合が悪くなった人もしくは死んだ人に見えると人騒がせかのう、、、と立ち上がって往路に就いたのであった。

今朝は、散歩の後、認知症の妻とともに一万回の登山をするという番組を見て夫婦愛にたまげておった。夜は夜で、金スマで鈴木治・大島美幸夫妻の夫婦愛に圧倒された。来世はタニタに就職して難なくスマートに生きることにした。

体重は、すっかり高原現象だ。腹筋を朝晩50回ずつすることにした。迷っていたウォーキングダンベルも0.5キロのを注文したのが今日届いた。

首相、退陣表明のニュースのせいなのか、夕刊が30分遅れで、やっと店に届き何十人も待ちぼうけをした。判ってたんだし明日の朝で十分だと思うんだが。