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日々のタワゴト                  

ココントコアレコレ

▼某日 

 昼仕事の届け先、玄関に向かっゆく。花に埋もれるように年配の奥さんがしゃがみ込んで花壇の世話をされていた。びっくり。「きれいな花壇ですね」と世間話。黄色のカタクリに似た花を指して「これも、えーとアレなんですか?」(言いなれたカタクリという名称が出て来ない。よく知らぬ人、中途半端に知っている人と話をするのが苦手で、我知らず緊張していたからか)「そう。カタクリなんですよ。さしあげましょうか?すごく増えるのよーこれ」と、おっしゃるのでありがたく頂戴する。 我が家の狭い庭には 多年草の花が咲いているばかりで、未だ一つも苗ものが植えられていない。花壇担当の夫にすべては任せている。私は口も手も出さない。土をいじるのは好きじゃない。けれど花を見るのはイイ気持ちがするものだ。配達の途中で、花々咲き乱れる様子を見ると、(ハナハイイナア。キレイダナー。)とは思うのだ。

▼某日 

 配達中スクーターの荷台から落としたジャンパーは、もうずいぶん古いもので、それ自体は、このままなくなったとしても諦めのつくものだった。でもポケットに入っていた家の鍵には鈴がついていて、それは、たしか夫がどこかの山に登ったときに買い求めたもの。安っぽいのに音色のきれいな。私自身はアニバーサリーとか物に執着しない。(というか粗忽で何もかもを忘れるだけだが)。夫は、メンタルは意外に女性的。ひそかにそういうタイプ。だから、申し訳ないなぁ・・・と思っていた。前日、一通り見たつもりでいた配達コースを、早朝からゆっくり流す。すると、公園のフェンスの角に見慣れた二本線の黒いジャンパーがかかっているではないか。ありがとう。どこかのどなたか。喜んでポケットを確認。鍵・ティッシュ・PHというパチンコ屋の会員カードが出てきた。気恥ずかしい。恥じる必要はないと思うが恥ずかしい。

▼某日 

 豚の甘くない角煮。美味しくできた。翌日、この汁に白滝としいたけを足して弱火で煮含めるつもりが、ハゲシク焦がす。絶望。嗚呼!あゝ!コイツどこのだれ!?オレだよ!オマエ死んじゃえよ!それだけは、できん!と思う。この繰り返しが、オソマツな我が人生。

▼某日 

 買い物先で、「さっぽろ黒ビール 生チョコ 標準価格500円が198円」に釣られ一箱買う。高校生の頃は「チョコレートは嫌い」と豪語していた自分だが、今では、たまにチビチビ食べるのは好き。PCに向かいながらペロリと平らげてしまった。少しだけ後悔。体重が、さっぱり減らない。バーンと増えもしないが減りもしない。

▼某日 

鶏そぼろ弁当とても美味しそうにできた。卵焼き・ピーマン・オレンジ・紅生姜・・・色取りもきれい。満足。のんびり残り物でご飯を食べる。美味しい。やっと重い腰を上げ、歩きに行こうとしてAマゾンで本が売れたのだったと思い出す。慌てて梱包。そしてコンビニに立ち寄りスポーツ新聞・タバコ・電池を買う。新聞は児玉さんの記事が気になって。公園に着き、まず一服。自販機で千円札と10円を入れて「いろはす」購入ののち歩きだす。7キロほど歩く。郵便局へ向かう車中。「???」もしかして、お釣り取ったっけ?取ってない気がする・・・。と思うも、運転しながら、あちこち確認はできない。局の駐車場でバッグポケットというポケットを探るがない。所持金80円。本だせず。一応公園に戻り釣銭の確認。歩きながら、いきなり釣銭出口に指突っ込んだら人はどう思うのであろう…と思いながら。やはりない。またも、ひゅるる〜。

▼某日 

児玉清さん逝去の報に、各界から惜しむ声。本当に人格者だったようだ。twitterで「クイズ番組では律儀に出場者にスタッフを全員紹介した。じゃなきゃおかしいでしょう?と語られた」というエピソードなど拝見し、誠実で生真面目な人柄を偲ぶ。基本的には海外ミステリや時代小説が児玉さんの愛読書で、自分とは読書傾向は異なったが、ラジオで嬉々としてとめどなく言葉が迸り出るといった様子を拝聴するのは好きだった。好きなものを語る人は美しい。図書館に児玉さんの著書『負けるのは美しく』他二冊予約した。

▼某日

ラジオ深夜便にて[かんさいストーリー〕わかぎゑふ著 「正い大阪人の作り方」から。朗読:住田アナを聞く。

▼某日 『円卓』にて面白いところがあった。明日引用する。