■ 日 日 夜 夜 ■

日々のタワゴト                  

シヲオモイネコノイキキクヤミヌクシ

死を思い 猫の息聴く 闇温し

俳句関係の本を続けざまに読んだため「!」というナニカを発見すると俳句にしてみたくなる。何にでも、その場だけ夢中になるのが私の悪い癖。夜中に本を閉じ、灯りを消して人間の生老病死を思い嘆息したが、腕の中で眠る猫は、ぷーぷーと寝息を立て安心して眠っている。それでもイキテルイキテル。私も猫も。ため息が微笑に変わった、その時、うれしくて「コレ、句にならぬか?」と思う。しばし考えるが一向にカタチにならず苦闘。行きつ戻りつの言葉サグリの末、素人五七五がひとつできた。ところが、気がつきゃこいつは無季じゃないか。うーーむ。ムズカシイものである。

読んでいたのは坪内稔典『モーロク俳句 ますます盛ん』車谷長吉『蜘蛛の巣』かわさきあてね『左利きの黒猫』
モーロク俳句ますます盛ん 俳句百年の遊び
句集 蜘蛛の巣
左利きの黒猫―ノア 十七音のアルバム

3冊は、それぞれの味。

車谷氏の句は、非常にねっちりしてヤリキレナイ。さすがは車谷長吉と思う。

甘納豆とカバの俳句で有名な坪内先生の本は、タイトルに騙されたが真面目な俳諧史であった。上野千鶴子俳人だったとは初めて知った。坪内氏との対談は興味深かった。上野氏は尾崎放哉派であり、彼は山頭火なんぞとは一線を隔する俳人なのだ、と、のたもう。甘ったれているのがイヤであるらしい。定型から自由律へと向かい、ほとんど単語の俳句に至るのは分かる。だが、究極は言葉を発しないということに向かうのが本当じゃないか、そう語る。非常に分かる!

加川良高田渡に捧げた「下宿屋」の一節を思う。

その歯がゆさの中で 信じるんです

唄わないことが一番いいんだと言える彼を

マッタクだ!そう思いながら、今日も戯れ言を綴っている。

最後に今日のヨロコビ。夕刊配達の時、自転車に乗った六歳くらいの子が、真っ直ぐ私の方に向かってきた!「おーおーお」とおののきながら言うと、それウチのっ♪と言って新聞を受け取ってくれた。やや長めの階段の上に差入れ口がある家なので助かった。「ああ。君ンチ?ありがとうございます」と笑顔で礼を言う。ささやかなヨロコビ。