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日々のタワゴト                  

日常を生きる

▼ある日

有機丸大豆100%というふれこみの豆乳を飲もうとして「にがり」がおまけに付いていることに気付く。(おお!)ならば早速作ろうではないか!と、注意書き通りに300ccの豆乳を丼に入れる。そして、にがり注入。マドラーで混ぜる。蒸し器ではなく大きめの手鍋に、湯を沸かし、そろりと丼を安置。中火で蒸す。コトコト・・・コトコト・・・コトコト。火を止めて蓋をし、しばらく余熱で蒸らす。

ザルに空ける。なかなか美味しそうな出来上がりだ。これをひっくり返してガラスの器に盛る。編み目が風流である。

こいつに山山葵(ヤマワサビ)の摺り下ろしをたっぷりと掛ける。スプーンで掬い、キラキラと輝く昆布醤油をつけて口に入れる。ぉおお!旨し!よくぞ日本に生まれけり。という味。

▼ある日

二週間目に突入の夕刊配達。最初に教わったコースを自分流にアレンジし直して一週間。「郵便受けに新聞を中まで落とす」家とか「絶対に落としてはいけない」家とか、三つ折りの家とか、二つ折りの家とか、四つに折らなければ入らない家とか、すっかり頭に・・・というか身体に入った。路面の雪がドンドン少なくなってきて歩きやすくなってきたのもありがたい。うっすら汗をかいた頃に、最後の家となる。およそ1時間15分で終了。

▼ある日

突然の災害で宴会が中止となり24時間交代で待機になったつれあい。メールで確認すると「明日から災害派遣になるかもしれない」という返事。奥尻の時には、行けずに消沈していたのを思い出す。翌日、動向が決まったら連絡を!と言っておいたが夕刻までメールが来ない。夕飯の支度の都合もあるので打診すると、またも行きそびれ組とのこと。翌日からは当直。支援の規模が十万人に拡大されたので、後半に行くことになるかもしれない・・・と言ってはいるが、どうなるか。

▼ある日

夕方からの報道番組で避難所で再会を果たした家族が抱き合っている姿に涙。「おまえ死んだんでないかと思ってたんだでー」と言いながら抱き合う夫婦と親子。方や、「妻と子と手を繋いで逃げてたんだけど、手が離れて、女房と子どもが流されてしまいました」と唇を噛むお父さん。「死者1000人」と数字は人間を十把一絡げにするが。。。義兄の姉弟達の消息は、ようとして知れず。機械に疎い姉たちに代わりgoogleから、被災者名簿から、softbankから、検索してみるが結果はなしのつぶて。

▼ある日

年若いネット友たちと呑む。心づくしの手料理や、悪たれ名人の悪たれなどを肴に、呑む呑む。笑う笑う。日常は私たちをうまいこと救う。「人間は犬に食われるほど自由だ」(藤原新也)屁理屈こねて、哲学して自我を追求したって、最期は己から、すらも解き放たれ一個の物体となる。悲しむべき現実からも、憤るべき現実からも、雁字搦めにされてばかりはいない。だからtwitter地震一色に塗り固められるのは、今ひとつ納得がいかない。

▼ある日

もしかして、数日離れるかもな朝、ほっぺにチュウをしてつれあいは出て行った。