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    日々のタワゴト                  タワゴトです。

▼8月



初七日が終わり、仕事も、いつものペースに戻った。七日ごとに合間の休みには実家へ行って、説教はあまり有り難くなかったけれど声だけはとても良い坊さんのお経を聴く。亡くなって七日目までは毎日御参りして下さり、四十九日までは七日ごととなる。これが、どうしてなのか調べたところ興味深いことが解った。

閻魔大王らが死者の生前の行いを聞き取り調査し、七日目ごとに審判を下す。これを記録したのが閻魔帳。なので、その日にお経を上げて貰うのだそうだ。そして最終的な結論が出るのが七七日目の四十九日。はや三七日も過ぎて時の流れの速さに呆然。

ここの読者という方から、有り難いお見舞いのお便りを戴いたり、供花代を戴いたり、忝なく思っている。

少し時間が掛かりそうだけれど順々にお返事しようと思う。

読書:久々に山本文緒を読み返した。『眠れるラプンツェル』。粗いけれど素直に文句なく面白かった。独特の灰汁というか、毒というか・・・も非常に懐かしく思われた。他には小沼丹なんかを読んで、レトロな日本語と、ゆるやかな時の流れにたゆたってみたり。そして、またまた『つれづれノート12』を読んでいる。



人のエッセイとか読んでいて思うのは、誰からもつっこまれないような、謙虚で物分かりのいい文章ほどつまらないものはないってこと。エッセイは、やぶれ饅頭のように、ところどころあんこが飛び出たようなものであってほしい。−−中略−−いいこと言っているのに、気をつかって言い訳ばっかりしているものとか、保険かけてるものとか読むと、いらいらする。−−中略−−わかってる人にむけて、ついてきてる人だけついてこさせて、うしろをふりむかずに、どんどん進んでほしいと、思う。−−中略−−自分もそうなりたいけど、いつか気づくと、うしろにひとりもいなかったりして。

ここに大いに共感し、溜飲を下げた。実に、この巻の銀色夏生は、この言葉通りに突っ走っていて、イカちんとの離婚を巡るやりとりなんかは、相当反感も買ったことだろうと思う。しかし、それで良いのだろう。なんせ、この腹の括り方はなかなか真似できるものではない。ゆけゆけ銀色夏生。うしろに誰一人いなくなるまで。っていうか、だからこそ、誰もいなくはならないのだと思うのだけれど。

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お墓参りでは、実家の、というか本家の墓石は、かなり立派なもので、まるで石碑のようだと改めて思った。父と母は、ここには入るつもりはないようだけれど。優しそうな、お坊さん(上の実家に来る方とは別のお寺の方)は、長靴姿で、後ろでお経を聴きつつほのぼのしていた。f:id:okkachan:20090816012125j:image

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