U便多く、ギリギリで帰局、その後、年賀状授受してたりで6時過ぎに、やっと病院へ向けて出発。
着くと母は鼾をかいて熟睡している。しばらくベッドサイドで本を読む。薬の時間になって起こされたので話をする。随分と元気そうだ。今日から水が飲めるようになったとのこと。
でも、あれほど口が渇くと言っていたのに
「いつでも飲んでいいって言われると、たいした飲みたくないんだわ〜」だと。
そこにいた看護士さんが
と、いっていた。
傷を見ると糸ではなく針金状の縫い目で驚く。 *
しばらく脳が物語を受け付けなかったけれど、手術が成功して落ち着いたのか
昨夜は8時から5時間寝て夜中
絲山秋子『ばかもの』一気読み。アル中の主人公ダメ振りに「おまえなー」と思いつつ感情移入。どうやらこれでも自分がダメだという強い自覚が、この私にもあるらしい。おもしろかった。
▼11/16 日
姉と病院へ。
「今日ね、すっごいご馳走だったんだよ。」という。
「え!もう食べたの?」
「ナニ出たの」
「おもゆ」ここで拍子抜けしたが、これだけではなかった。
かぼちゃ・鶏肉の焼いたの・ゼリー・他
「おいしゃさんが『今日から、食べてみますか』
っていうから、ほんのちょぼらっとかと思ったらさあ。」
「車いすに乗せてもらって、立つ練習もしたよ。なんっとかかんとかだけど立てたわ」
看護士さんの話では、明日は歩行練習もするとのこと。
明日は上の姉がストーマ器具の取り扱いを習いに来るらしい。
こうして母との闘病記を書いていると、とても仲の良い母子に聞こえるかもしれないが、けしてそうではない。むしろ、長いこと私の中には母の生き方をヨシとせぬ硬い硬い意固地な憎しみに近い何かがザラザラと残っている。佐野洋子の『シズコさん』が売れているのも、意外に親子って簡単にはお互いを受け入れられないモノだからなのかもしれないし。佐野さんの、
「母が惚けてから初めて、母を抱きしめ愛おしいと思うことができた」というような記述に、ものすごく共鳴した。
ともかく、こうして、ほぼ毎日のように母となにかしら会話し世話をする機会を得たことは、宗教めくが自分にとってもひとつの「許し」を得る機会なのかもしれない。とも考える。