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日々のタワゴト                  

春だ



▼3/25 火

昨日、補欠合格の報の締め切り(?)だったので、ずるずるとYの入学する大学が決定。

学校紹介の下宿屋に次々電話を入れるも「満室」の嵐。21時を過ぎて、一端諦める。ならばアパートか?と、ほぼ方針変更。Yには、明日虱潰しにアチコチ当たるように言っておく。また、家財道具一式を揃えるのか?と、ややウンザリ。

そういったこととは別に仕事には真剣勝負で勤しむ。上着脱ぎ捨て半袖で走る走る。117年ぶりに3月に気温が15℃を超えたそうで、実に暖かい。道には、終業式を終えたらしきこどもらがわらわらと湧き、これまた春っぽい。

合間に、とある下宿に空きがあったと聞く。大学まで徒歩30分と、立地は悪いが、ボロでもなんでもそこに決定。木曜日に布団とチャリを運ぶことに。そうこうしているウチに、夫から木曜の休みはとれた。しかし、浪人して、もう一年頑張ってみるという選択肢があることをYに伝えて、もう一日考えて見るようにとメールが入り感動。あのモノイワヌ人が・・・。

結果としては、娘のキモチの方は、すっかりN大進学に向かって進み始めており、それに従う。

住民票取ってこい。写真撮ってこい。口座作れ。三日は入学式だから、二日にはプチ引っ越し。子連れラストカメムシは無理?などなど、色んな方向に気ぜわしい。

麦ちゃんちに花を届けよう計画も頓挫。でも、おめでとう!


本:猫村さん

テレビでは、「独創性」がテーマの爆問問題を見た。本当に独創性というものは成り立つのか?って話は、私も若き日に考えたものであった。本、テレビ、新聞、周囲の人間から得た借り物で思考している自分は、どこまで自分であり得るのか。太田が解説するところの「知ることによって、一つひとつの「思いこみ」をつぶすのは、言い換えれば「優しさ」でもあり、滅私をしてゆく過程で、なおかつコレは、逆説的ではあるが自分100パーの自分に到達出来る方法である」という西田幾多郎の理論は美しき真実と思えた。