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日々のタワゴト                  

君は「 百日紅 」が読めるか




ひまわりのかっちゃん

ひまわりのかっちゃん

▼8/18  曇りのち霧雨。そして晴れ。涼しい

娘Kとダリ展へ。

ゴッホの時程ではないが、なかなかの混雑。音声ガイダンス(ペアで\800)を借りて。

帽子を被り赤いスカーフを巻いた眼光の鋭い男の顔。これが十七歳の時の自画像。これが突始め。見るほどに、彼の複雑さが面白く思われる。「奇妙なヒゲと溶けた時計」。多分、これが大方のダリに対するイメージ。その印象は間違っていない。描写の確実さに、物事への皮肉な視点が加わるので、見る者に、不安・暗さ・カタストロフィへの予感を与える。

面白いと思ったのは、歴代のそうそうたる画家達を色々な項目毎に二十点満点で採点していた表。

モンドリアンが全部0点。フェルメールが、ほぼ満点。実に興味深い。

1939年、ニューヨーク万博のためにデザインしたパヴィリオンの展示は面白かった。サボテンのような、にょろにょろのような突起がいくつも飛び出た奇天烈な外観の建物には、モナリザとヴィーナス。展示室内には天井からぶら下がった数十本の開いたこうもり傘。ボディペイントされた水中のモデル。カブキ者、ここに極まれり。というところ。そして、見ていてどこかイマジネーションを喚起される。なにもかにも変!でも、金と暇があったら、なんか、こーゆーのやってみたい!とか密かに思う。

そして、道新ホールへ。

『ひまわりのかっちゃん』の西川つかさの講演会。入り口ロビーでカメ会メンバーらと待ち合わせ。

ショーコちゃん・う〜・ハセノモギ・リョー。メンバーを待っていたら入り口に見覚えのある顔が!なんと高校の同級生○ヅオさんではないか。その周りには、これまた知った顔。向こうは中学校の同級生メンバーで来たらしい。

オヤジのおせっかい「中学生は、これを読め!」や「売れない文庫」などの斬新な企画選書や棚作りで知られる、くすみ書房主催のイベントなので、その関連のPRのあとに、我が郷土の☆、西川つかさクン登場。

いささか、戸惑っている風な、木訥で自然なしゃべりから、講演は始まった。(ん?だいじょぶか?がんばれよ・・・。ややハラハラと耳を傾ける)

しかし、心配は無用だった。


メモ

バタフライ効果

・放浪の果ての飲んだくれ

・丸三年、写経のように

・実験的に脚本家を育てる

・勉強が嫌いなら、するな、させるな

・好きなことを探せ

・諦めるな

・死にものぐるいで三年

とにかく、くぅーーーっ!!とくる見事な話だった。

その後、北檜山チームにお邪魔するカタチで宴会に突入。

記憶の不思議を感じたりする。出掛けるので、つづきはまた。(本当に、あるかないかは不明)

本:高山なおみ『日々ごはん?』読了。この人も、よく読む。よく作りよく食べる。

★今は、8/20 午前1:47

memoの部分を読み返したら、見事になにも伝わっていないであろうコトが判った。彼の話はこうだった。(注:以下記憶をたどって講演の内容を起こしたものであって、言い回し語尾等、相当不正確なものであることを、お断りします)


 昔、自分がSF小説を書こうとした時に「バタフライ効果」なる言葉を知りました。それは、カオス理論というヤツの用語で、“初期値の微々たる違いが後々現象にものすごい影響を与える”というもの。中国で舞った蝶の影響がニューヨークで大嵐を引き起こすという喩えでよく語られるらしいです。

自分は高校卒業後、大学に入ったもののスグに辞めてしまい旅に出たんです。数年間旅をした末、親にも、そったらもの・・・と、感動されてしまったので、兄を頼って札幌に戻り、毎日まいにち飲んだくれる日々を過ごしていました。そして、ある時、どうやらTVというものには、全て“脚本”というやつがあるらしいゾと知ったんですね。で、そいつをやってみようと、思ったんです。(この辺の動機、講演だけでは、イマイチ曖昧だった。宴会の時に、ご本人にも伺ったが、なんでだか途中で話題が途切れてしまったのだった)。そこで、山田太一倉本聰のホンを丸三年、写経のようにひたすら写し続けたんです。腱鞘炎にもなったし、しまいにはペンが持てなくもなりました。それでも書くことをヤメはしなかったです。ガムテープで書くモノを手に固定してそうして、脚本を写し続けました。不思議なもので、2年もするとドラマの起承転結の運びや、この台詞が、あとでこういう風に影響して、ああなるんだな、とかいう構成の仕方、活かし方がカラダで理解できたんですね。そこで、ある時、満を持して日本放送のシナリオコンクールに応募しました。そして入選。そこから細々とシナリオライターとして、様々な仕事をするようになったんです。売れてませんけども(と、謙遜)。

なにかを成し遂げるには、死にものぐるいで三年やればどうにかなる。というのが持論です。これは実験したので間違いないデス。自分じゃなくて、人を使ってやってみたんです(笑い)。脚本家協会というものに、自分は所属して居るんですが、そこでは、スクールを運営しているんですね。何十万かもらって脚本家を養成するんです。

自分も三人割り当てられ、その他にも・・・、当時、とある漫画の原作を書いていたんですが、その弟というのが、自分の原作を読んで「これくらいなら自分にも書けそうだ」というんで、兄を通じて弟子にさせてくれってコトできたんですね。で、この4人に毎日の出来事を自分にメールで報告すること。某TVの人形劇のプロットを毎週提出すること。を課したんですね。協会から託された3人は学歴もそうそうたる有名大学出身。半年もするとコツをつかんで、そこそこ使えるかな、というプロットを書けるようになりました。ところが4人目の彼だけは、全く、どうにもこうにもろくなものが書けなかったんです。そうこうしているウチに、優秀な方の3人は、メールをよこさなくなりました。自分は、もう大丈夫なんだと、早くデビューさせてくれ、なんてことを言い出したりするんです。でも、自分は、ひたすら彼らに人形劇のプロットを書かせました。するとね、2年もたつと彼らは、全く書けなくなりました。もう、なんにも思いつかないんですね。これじゃあダメなんです。プロというのは、同じようなことが、何度でも永遠に書き続けることが出来なくてはならないんです。

それでも、4人目の彼だけは、毎回きちんと書いてきました。毎日の出来事のメールもよこしていました。で、そのうち、一応使えるかな、ってのを書いてくるようになりましたねぇ。今では、彼はプロとしてやっています。

他にも、こんな例もありました。「ひまわりのかっちゃん」の読者から、ある手紙をもらったんです。この方は離婚していて、そして乳ガンを手術されて、更に転移もして、それでも自分で花屋さんを切り盛りして二人の子どもを育てているんですね。・・・ウチの息子は、多動で本当に落ち着きがなくて一冊の漫画すら集中して読み切ることができないんです。成績も学年のビリ。自分が先立ったらこの子は一体どうなるんだろうと不安でなりません。その子が、「かっちゃん」だけは、最初から最後まで、一気に読むことが出来たんです。どうかTに手紙を書いてもらえませんか。と。・・・こういう手紙でした。そりゃあ、手紙を書くのは簡単だけど、でも・・・。どうせなら、直接会わせてもらえませんか?って言ったんですね。なんか興味を感じたんで。。

実際に会うと、彼は、すごいジャニーズ系の可愛い子なんです。じぶんなんか、ハンカクサイみったくなしだったのにぃ。いったいコレ以上、コイツはナニを望むんだってくらいね。で、でも、やっぱり、まったく話が聞けないんです。本当にジッとしていられないんですね。手をバタバタぶらぶらしたりで。で、お母さんにハズしてもらって、二人で散歩に出ました。で、自分がかつてセンセイに言われたことと同じ事を彼に言ってみたんです。

「Tは、自分がバカだと思うかい?」と。すると彼は自分とおんなじ事を言いました。

「かあさんもバカだって言うし、ねえちゃんもそう言うし、たぶんバカなんだろうと思う」と。

で、なんか好きなことはないのか?って聞いたら水泳が好きだっていうんですね。それで、「おかあさんは、自分に少しは勉強しろ勉強しろって言うけど、自分は、そんなのどうせ無駄だと思う。だから水泳を頑張って記録を作って、推薦で大学にも入って、なんとかバンバリたい」って。ちゃんと、考えてるんです。

で、「よしわかった。じゃあ、オレがお母さんを説得してやるから、お前は、もう水泳以外のことはメシ食う以外、なんもやるな。イヤ、メシ食う時も、腹筋しながら食え。」ってね。「いや、それは無理でしょ?」って言ったけど、でもね、少年隊にヒガシっているでしょう?仕事が一緒だったことがあるんですが、彼はね体脂肪が2パーセントらしいんですよ。で、ヒガシは弁当食いながらね、ホンっトに腹筋してましたよ。だから、やれば出来るんだって、そうTにいいました。

と、まぁ記憶をたどり順を追って書いてきましたが、キリがナイのでよします。

こう言われてTクンは、初めてきちんと目を見て話をしたといいます。そして劇的に生活振りも変わって、風呂洗いも掃除も全て筋トレと称して、モンのスゴイ手伝いをするようになって、さらにはプールの後に花屋まで手伝うようになり、水泳の記録も順調に伸びてきていると、そういうことです。

その他にも、西川君ご自身の娘さんが、「高校進学をしない」と宣言した話だとか、アノ憧れの細田さんと、再会した話だとか、伝えたい面白い部分はたくさんあったんだけど、息切れしてきたのでカツアイ。

で、宴会の時の話、上に書いてある「記憶の不思議を感じたりする」出来事ってのは、こうだ。K原クンという同級生がいたんだけど、全然全く思い出せない。しばらーく、いっしょに飲んだり誰それの「あの人は今」って話をしたりもしたんだけど、でも、思い出せない。これが、ある瞬間に34年の歳月を越えて、♪ぴーーんっ♪と甦った光景が!

高校に入って最初のオリエンテーション。それぞれ、自己紹介を、というとき、みんなが出身中学校だとかを平凡に言っていたその時に自分の番が来て、突如立ち上がり、ツカツカと教壇に登り、黒板に

百日紅

とだけ書いて

「みなさん、これが読めますか?」といったのが彼だった。と。

顔が今よりもズーット細くって、そして坊主狩りで、真面目な頓狂な少年。ぴゅーーんと!抽出を引っ張ったら、そこからヒョイと出てきたみたいに、その子が時空を越えてあたしの頭の中にやってきたのだった。

すごいな。と自分で感心。

チャンチャン。