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                      タワゴトです。

<け‐いと【毛糸】>



 羊毛その他の獣毛を紡績して糸に製したもの。種々の編物に用い、また、毛織物の原料とする。紡毛糸と梳毛とに大別。

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 幼い頃は、毛糸の衣類は必需品だった。暖房も今ほど行き届いていなかったし、母親達も編物に時間を費やすのを厭わなかった。

 秋口から冬にかけては、よくストーブのそばで編み直しの毛糸球作りの手伝いをしたものだ。小さくなったセーターなどを解く。この場合、糸はラーメンのように縮れている。そこで、やかんの湯気にあてて糸ヨレを直しながら巻いていく。はっきりとは覚えていないのだが、面白がって見ていたのは記憶にある。

 買ってきた毛糸も今のように球ではなく、40センチ位の長さの輪に巻いたもので子どもが体の前で両腕を立て、球を作っている人の動きに合わせてくるくる腕を動かしていた。

 そうして作った毛糸の球から生まれるのは、毛糸の靴下、毛糸の手袋、毛糸のパンツ、毛糸の股引まであった。セーターはシャツの上から着るからまだ良いが、私は毛糸の靴下は嫌いだった。ちくちくするのだ。

 冬の朝玄関で長靴を履く時は細心の注意を払った。足首が少し緩めの靴下は念入りに股ひきの足首にかぶせ、さらにその上にズボンを重ねる。やれやれと長靴に足を入れると、ひっかかってズボンがめくれたりして悲しくやり直し。長靴の中でぐじゃぐじゃになって足首が出ているのが嫌だった。

 私ったら実は潔癖症だったのかな。トイレでちり紙を必要以上に使うというのもよく言われたし。今じゃ全く、その片鱗は見られませんが。

 今は純毛のものは、あまり身に付けません。洗濯が手間がかかるし編物も苦手。昔、私が編物をしているのを父が見て「お前は、おぞいなぁ。俺はこどもの時四本針で靴下編んだもんだぞ」と自慢され、悔しかった覚えがある。父の子供時代は、農閑期には娯楽の一つでもあったのかもしれない。

 くやしいが、いい風景だったろうな、と思う。

 他にも気付かないうちに失われた、こういう風景がたくさんあるのだろうと思う。