■ 日 日 夜 夜 ■

日々のタワゴト                  

<ていしゃ‐ば【停車場】>p.1.639



ていしゃじょう

 列車などの発着、旅客の乗降、貨物の積みおろしなどのために設けた場所。駅・操車場・信号場などの総称。

         *   *   *   *   *

停車場テイシャバは死語だろうか?近頃とんと聞いたことがない。古めかしい響きが時代を感じさせる。

石橋正次の「夜明けの停車場」と、奥村チヨの「終着駅」が浮かんだ。

歌詞を全部引用すると著作権協会に叱られるらしいので、少しにしておくが終着駅は良い曲だ。

落ち葉の舞い散る停車場は 

淋しい女の吹き溜まり

            ↓参照下さい

http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/shuchakueki.html

ところで落ち葉だ。落ち葉の形容を最初に「舞い散る」と言った人は誰だったのだろう。ひらりひらりと踊りながら散っていくなんて詩的表現だ。しかし、今となっては陳腐になってしまった。あるいは、誰も気にとめない。

言葉に手垢がべったり付いてしまった。あまり、皆が使いすぎたのだ。

「相田みつお」だって知名度が低い時は新鮮だった。結婚式の三つの袋の話だって初めて聞いた人は「おお!気の利いた話じゃないか」と思ったに違いない。人口に膾炙したのは「言葉」の罪じゃない。オリジナルを重んじない人が無闇に引用するから悪いのだ。

そして「言葉」は捨てられていく。「いかしてる」が捨てられ「かっちょいい」が捨てられ「ナウ」が捨てられ「バッチグー」が捨てられ、「チョベリグ」が消え、今は・・・何?

モテアソバレ、見向きもされなくなった女が終着駅に降り立つ。

終着駅の停車場には死語の吹き溜まりもあるだろう。そして、今日もひとつ明日も一つ過去から逃げた言葉が降りていく。