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日々のタワゴト                  

<か・りる【借りる】>広辞苑p.515



 昔は重ね加えるの意で、人に金や力を重ね加えることで、借りるの意味になったらしい。

 そう言った意味で、我が家もいろんなものを借りています。住宅金融公庫があと二十年、どーんとあります。それに、「力」という無形のものになると、これはもう、出産といっては養ってもらい、子ども達が小さい頃には、会議でお迎えに行けないといっては実家に頼み、育児に煮詰まっては友人家族との温泉旅行で命の洗濯をさせてもらい・・・と、数限りなく“力”を借りてきました。借りっぱなし。

 「借りる」ことの内、本の貸し借りはやっかいなものだ。本を貸すのは一向に構わないのだが、借りたはいいが自分には面白くないときというのが多々あるもので、こういう時って返す時期を逸するのです。(借りた以上はちゃんと読んで感想なども)と思うと、なおさら返しそびれてしまう。本を貸すときは返らなくても良いという覚悟で貸すべきと思うようになった。近頃は(読めなかった、自分には会わなかった)と言って、時期を逃さない内に返却する方が賢明と思うようになりました。

 私は非常に引っ込み思案で、知らない人と話すのが苦手だ。それこそ借りてきた猫並なのだ。しかし、借りてきた猫というのは慣れると、もうすっかり我が物顔でドデンと昼寝を決め込んだりするもの。借りてきた猫が返す猫になる頃にはゴロゴロ擦り寄って正体が知れてしまう。

 算数の計算で「隣から10借りてきて・・・」というのが納得いかないって、向田邦子さんは言ってましたっけね。いつ返すのか!って。

 借りたものというのは負担なものですね。若い頃、自分はいろんな人の本を読んで、そこから借りたものの寄せ集めじゃないのか!?って本が鬱陶しくなったことがありました。

 全部売っぱらいました。本棚三本分くらい。二〜三万で買い取ってもらいました。

 バカなことをしたものです。いずれにしたって仮の宿を借りているのだし、私は関わった人や本や、目にしたものや、食べたものや聴いた音っていう借り物でできているんです。きっと。永遠の借り物競争です。