家には・・・建物。家庭。祖先から伝え継がれる血族集団。おいえ。家の財政。「―を傾ける」家柄。「いい―の子」。在家。(広辞苑より)他の意味がある。
もともとの字の成り立ちは屋根の下に豚がいる状態なのだそうで、父方の本家を思い出しました。
ルーツは高知県の下級武士だったそうですが、曾祖父が入植し、本家は田舎の農家です。
昔は人もたくさん使っていたようで、もののない頃は密造酒を作って若い衆に呑ませたものだったと聞きます。昨年、父が思い立って作った酒をもらってきましたが。発酵し続けるので、容器が爆発寸前まで膨らんでしまいました。味は・・・炭酸の入った甘くない甘酒のようでした。
父は子供の頃から「樽に麦藁を差し入れて盗み呑んだもんだ」と言いますが、それしか呑むものないんなら呑むか、という味です。(とうさんごめん。)余談でした。(つい酒に走るこの性格)
子供の頃、遊びに行くと玄関を入ったところが土間で、左側に馬のいる納屋があり、正面には、かまどがありました。人間は右側に住んでいて、三〇数年前は「おがくず」式のストーブがゴンゴン燃えていました。黒光りした廊下があって襖で仕切られていたけれど、開け放すと旅館の大広間のように巨大な部屋になる形でした。トイレは土間の方にあり、便器には、藍色の奇妙な模様が入っていました。
全体に薄暗く、なんとなく怖く感じたものです。
その暗さが、単なる建物としての家ではなく、暮らしていた者たちの「気」のようなものまで感じさせました。
結核や戦争・分家で、父の兄弟は次々といなくなり、父は二十歳そこそこで兄弟や甥たちの面倒をみたと昔語りします。
「でんぷんの時期はな、でんぷん工場に丸太運んでよ、火絶やせないし、寝ないで働いたもんだぁ。気ぃ付いたら、立ったまんま寝てたこと何回もあるぅ。」
(なんだ、寝てんじゃん)と茶々は入れず話は神妙に聞きました。
結局、父は甥に「家」を任せ、町の人になりました。
そのまま、農家を営んでいたら、私も更にとんでもない野生児になっていたことでしょう。馬橇(ばそり)を走らせてみたかったです。
「隣の町まで、他人の土地を踏まないで行けたもんなんだぁ」という土地も、今では随分狭くなりました。
「家」は傾いた、ということなのでしょうが・・・新しくなった本家は、丘の上にちんまりと、しかし真っ直ぐに、立っています。