雨の日のことだった。
「そんな話聴いてる暇なんかないよ!!」
名乗ったとたんに老女に大変な剣幕で怒鳴られた。
仕事柄、断られることには充分に慣れていたつもりだった。50 件のチャイムを鳴らしても、出てきてくれる人が一人いれば良い方 なのだ。しかし、こんな断られ方は初めてだった。
トラックに駆け戻った。ゴシゴシと髪を拭く動作のままスポーツ タオルで、顔を包み「おーい、おーい、えっえっ」としゃくりあげ た。とにかく泣けた。悔しくて、惨めで、腹立たしくて。
その日は、激しい雨に濡れ、風に吹かれ、もう限界だった。けれ ど、新規キャンペーンの契約がとれていない。会社にもどろうか? と時計を見た。最後の一軒!と自分に気合を入れ直し、門を叩いた 家だったのに。
職 種:食材の配達
休 日:第二第四土曜・日曜
勤務時間:9:30〜16:30 残業なし
賞与:年2回 燃料手当、交通費
求人誌には、そうあった。
運転は好きだし、夫の帰宅も早い自分にとって、打ってつけの仕事と思った。
どっこい、世の中は甘くない。毎週、毎週ノルマとの戦い。達成できなければ給料が引かれる。残業なし、ではなく残業手当なし。賞与なし。
配達員が18人の職場で、在職二年間で辞めていった人が、40人 を越えた。簡単に辞めたんじゃ女が廃ると粘ってきたのだけれど。いつの間にか糸は切れてしまった。
退社が迫ったある日のこと。
85歳の、あるおじいさん宅。前の配達の時に仕事を辞める旨は、伝えてあった。「いよいよ次の配達で最後です」と告げた時、おじ いさんは、ゆっくりゆっくり噛み締めるように、話し始めた。
「わしもいろいろと、考えてみたんだけんども・・・今度でやめるわ。 今まで、お前さんが一生懸命だし「特別販売で、梅干売らんばない」 って言えば協力してやりたいと思ったし、買い物も助かると思って取 ってたんだ。したけど!あんたが辞めなきゃなんないような!そんな 会社!なんか!どっか!間違ってる!だからワシは・・・そういう会社 のものは・・・口に入れられない」と。
真っ赤な目で怒っていた。昔、炭鉱で塵肺にやられながら働いたと いうおじいさんは、発破を仕掛けたような地響きをたてるよに、本気で 怒ってくれた。泣きながら。
私も泣いた。
× × × × ×
(1):身過ぎとは「生活をして行くてだて。なりわい。」
身過ぎ世過ぎは草の種とは「生活の手段は草の種のように、いろいろある」 ということ。
☆ ☆ ☆
昨日の読書:澁澤龍彦『東西不思議物語』伊藤比呂美・上野千鶴子
『のろとさにわ』ヌエの鳴く夜は恐ろしい。そなたの言葉も恐ろしい。 わらわのお顔も恐ろしい。妖怪好きには、たまらん本でしょう。好き な女郎に見立てた竹の人形が、お湯を入れて腹を温められたという下 りを見て、南極2号を想像したのは私だけでしょうか?
『魂のいちばんおいしいところ』谷川俊太郎
「やわらかいいのち」に泣けた。わたしとて「やわらかいいのち」 だったのです。上の話の後では説得力がありませんが。