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日々のタワゴト                  

幸田文講演「出逢いと感動」1977年9月京都での岩波の文化講演会にて 幸田文全集第22巻付録その①

こんばんは。

わたしは、ごくか細いお話をしようと思って来ました。秋のお婆さんの夜咄といったところですから、どうか、お行儀をお崩しになつてお楽になさっていただきとうございます。

今、栗の季節でございますね。ひとつ栗ってのご存知ですか。あのイガの中にひとつだけ入ってるの。二つ栗ってのはふたつ入ってて、ミツ栗はみっつ入ってる。そのひとつ栗を剥きますとね背中もお腹もむっくり太っていい栗なんですね。これは人に好かれます。二つ栗は、お腹の方はぺったんこだけど背中の方がむっくりしてるの。これはひとつ栗に次いで喜ばれます。みつぐりは三つ入ってて真ん中のやつは、本当に、これは惨めなの。両方の端に押されましてねぺったんこになってんの。わたくしそういう風でございました。姉と弟の中に挟まりましてねぺったんこになりましてね。おまけにこっちの方向があんまり良くないんですね。(※おそらく御自分の頭を指差していらっしゃる)

そうすると愚痴じゃございませんけども、あんまり愛されなかったと思いますよ。皆さん愛される子だから愛されざる者の訴えってのは感情がないかもしれませんけれど相当面白くなかったですね。

姉っていうのがね、頭がいいんですって。で、鼻がこういう風になっていて可愛いんですって。だからコレを父がとても喜びましてね「植物学者にしよう」って、こんな小さい五つか六つの時から、そんなこと言ってんですよ。親ってあんまり利口じゃないですね。

で、その植物学者にって、これが利口だからなんでもじきに覚えちゃってね。これはなんの葉っぱ言うのね。こう広がってる葉っぱから病葉になって落ちる。来年芽出しになって小さい芽が出て来るところまで見ちゃうから可愛くてしょうがないのね。で、良い子だって言って、で弟は結核で亡くなるくらいだから色がポッポって赤くて「おとうさん!」つって甘ったれて、コレがいいんですって。で、真ん中の私だけいつでも「ダメだ」って言われました。つってしょうがない子だって言われて。まあ、出来が良くなかったってんでしょか。こんな風でね姉っていうのがね一番初め出会ったわけなんです。意識してね、 みなさん兄弟の出会いってお考えになったことありますか。兄弟にだって出会いがあるんですわ。そしてこの私は姉ってモノはやだなって思いました。生まれた順序ってのはこっちのせいじゃございませんし、まあ、父のせいでもないかもしれないんでしょうけど、やはりどうしても、うまいところに生まれたのと、 狭いところに生まれてぺったんこになったのとあると思います。

そういう父も四番目に生まれて大分ぺったんこになって育ったらしいんですけども。

これは親譲りなんでございますかね。こんな風で姉にね会ったんです。既にして自分がどうしようもない出会いってとのがございますね。そして私はこのできる姉ってものに大変迷惑を致しました。兄弟の中で出来るのがいますと出来ない者は大変迷惑でございます。そういうご経験はありませんか。殊に下の子ができたりなんかすると、その上の兄なり姉なりは四苦八苦致します。

そういう話をとても聞きますけれども。こんな風で出会いがありました。

著作権協会(?)に叱られる前に削除するつもりです。気が向いた時にまた続きをアップしようかと…。